悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生(齋藤孝)

ちょっと古いどころか、発行は20年以上前だ。
でもすでに本書の中でも、自然体験の減少や仮想と現実の混同が、危機的だと述べられている。そして戦後の生活スタイルの激変で、伝統的な身体文化ーー著者はそれを「腰肚文化」と名付けているーーは途絶えた。そこを今後どう取り戻すかを論じた本。
身体文化が途絶えれば、そこに根ざしていた日本語もどんどん消えていく。例えば「腰を入れる」「腹に据えかねる」「技を磨く」「感覚を研ぐ」今、刃物を研いだ経験がある10台ってどれぐらいいるかな?いや、うちの子にやらせたことがあったっけ?
 
「地に足がつかない」ってのも、マンション世代だとぴんとこない言葉かもしれない。
 
少し前に、烏骨鶏の頸をはねる経験をしました。(血なまぐさい話なので、この先は苦手な方はご遠慮ください)
 
切株のうえに鶏を横たえて、片手で頭をおさえ、もうひとりに体を押さえてもらいます。小ぶりのオノみたいなやつで、すとん、と首を落とします。
刃物をまっすぐにおとす、そのすぐそばに自分ともうひとりの手があるわけです。だから狙いは定める。そして力任せでは首は落ちない。もちろん、暴れさせては収拾がつかなくなる。心を乱さずに行う。
片手ながら、そうだな、剣道の竹刀を振り下ろすような身体感覚が必要なわけです。
 
私は、薪ストーブの生活をしていたので、薪割りや 鉈をつかっての焚き付けづくりなどの経験があります。だから、一度目に躊躇した後は「ああそうか」とできました。
薪を割る、杭を打つためにまっすぐに穴を穿っていく、ひもでくくる。 
虫をつかむ、田んぼに足を入れる、腹の底から声を出す。
五感の感覚、身体感覚を活かすことは人間しかできません。立ち・座り・歩くこと、自分の体に耳をすますことを、それこそ豊かな身体感覚に基づいた豊かな日本語で語ってくれる本でした。カラダを扱う仕事をしている身として、座右の書とします。