悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

人はどう死ぬのか(久坂部羊)

こどものころは、大人になったらだんだんと慣れていくのかなと思っていた。
父のなくなるときに立ち会うことができなくて、悲しかった。でも、どこかホッとした思いもあった。「あの世」につながりができたから。ちょっとだけ恐怖がなくなったからだ。だから、やみくもに恐れるよりも知ること、感じることって大事だ。
いま50代になって、若いころに想像していた以上に、慣れることはないもんだなと思う。
それでも折にふれて、遺品整理とか、おくりびと関連の本に手が伸びるようになってきている。多分一人暮らしになった影響もあるのだろう。
 
死について、新しい視座を与えてくれる本だった。医師でもあり小説家でもある著者が、たくさんの患者さんの水際に触れてきた経験や、率直に自分自身の死生観を語っている。日本ではカーテンの向こうに追いやられて、「忌む」とされている世界を、私はもっと知っておきたい。そうでないと、私自身はにっこり笑って老いていけないと思っている。
 

デジタル介護、する側とされる側

仕事の会議で使うという機会がないので、ズームやグーグルミートに弱い。

先日参加していたら、ホストさんが「ホテルのWi-Fiが弱いみたい。困ったな」と言い出し

そしたら参加者の一人が「じゃあ私がホストになりますよ」と、サッと交替してかっこよかった。

私は画面共有すらおぼつかない。家を出た娘にお願いして、練習させてもらうことにした。

 

ついでに画面の明るさなんかもチェックしてもらうと、集音がやや不安定という。

「なんでか分からないけど、骨伝導イヤホンとつなげないんだよね。パソコン本体とは繋げるんだけども、zoomだけ」とつぶやいた。

すると娘は2,3秒考えて「ズームのマイク設定は?マイクの横のところポチしてみて」と優しい。無事に接続することができた。

 

きっとこうやって、娘世代にとって当たり前のことができなくて、

彼女たちは今後就職先でも「デジタル介護」していくんだな、と容易に想像できた。

 

それで思い出したことがあるんだが

数年前に、 80代のおばあちゃんの「デジタル介護」(?)をする側になったことがあったっけ。↓↓

英語をしゃべるニュース (2016.4)

英語をしゃべるニュース - 悠々闊歩 (hatenablog.com)

その時には大笑いしたが、いまや、どうやらそんなに違いはなさそうだぞ。

ええい、デジタルだろうがハイテクだろうがイノベーションだろうが、ついて行くぞー!

いますぐ書け、の文章法(堀井憲一郎)

文章を書くのがうまくなりたい、という色気があった。
「わあ上手ね!」と褒められたい。投稿にいいね!がついたらうれしい。できればうーむと唸らせたい。
 
しかし筆者の結論は早かった。まさに、本の冒頭に結論があった。
■うまく書きたい、という意識をなくすこと
■そして読者の都合や立場をいつも考えて書くこと、以上。
この本はそのことを手を変え品を変え、例示しながら叩き込んでいく。
 
日記ではなくて、対象が身内や恋人でもない文章を書くのならば
文章で自己表現しようだとか、内なる自分を聞いて欲しいだとかは、おこがましい。
文章が誰のものかと言えば、読者のものなんだ。タイトル3秒で読む気にさせ、冒頭の一文7秒でひきこまなければ、読んですらもらえない。誰が書いたかなんて、問題じゃない。その文章で相手の何かを「動かす」ことができるかどうかだ。
 
「ブログは言語化の練習でして」なんて、甘ったるいことを考えてきた自分が恥ずかしいです。
でも、もし「頼まれなくてもついやってしまうことは?」と訊かれたら、自分は文章を書くこと、とこたえるしかない。そして継続力だけはあると思う。そこを頼みに、じゃあそれが資質なんだ、強みなんだと言い切りたい。
文章術の、小手先の技術でなく芯をいただけました。いますぐ、そしてこれからも文章を書き続けて、筋持久力のように鍛えていきます。
 

ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方(伊藤洋志)

「個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事を「ナリワイ」(生業)と呼ぶ」(前書きより)
 
ナリワイは、仕事でもあり、生活でもあり、娯楽でもある。
競争とは無関係な部分を作り出し、生活をゆるぎないものにする一つの「作戦」=ナリワイづくり
筆者自身は、ナリワイをそう定義して、いくつかのナリワイを並行し、支出を「おもしろく」カットすることで、生活を「丈夫に」していくことを実践しています。
例えば、床張りワークショップをする。日本中に中古住宅があふれてて、自分で手直しできる技術があれば、ローン組んで一生縛られなくても住処は確保できる。
私も田舎に住んで、そういったちょっとした修繕、道普請を自給できる人々に目をみはりました。上質世界とつながってるので、もうちょっとこの人の著書を読んでみようと思います。そして実践につなげる。
生活を自分の手でつくれる技術をあげることは、もしかしたら影響の輪を広げることとも関係していそうです。
 
 

超筋トレが最強のソリューションである(Testosteron)

 

編集

今年初めから比較すると、減量に成功し、全身持久力のトレーニングは習慣化しています。しかしどうにも続かないのが筋トレ。

筋トレグループに体験参加して、勧められました。何その著者名?って感じでしたが、まずはポジティブな言葉の嵐に大笑いできます。手首切るくらいなら筋トレして筋繊維切れ!とかね。そしてサブタイトル『筋肉が人生を変える超科学的な理由』のとおり、専門家による論文の解説・裏付けをしっかりしており、バランスが 絶妙です。

筋トレやらない理由がないなと思える一冊。だんだん腑に落ちてきました。

少し話がそれますが、感心したのが「日本人マッチョの希少性」海外における日本人のステレオタイプなイメージは、華奢で頼りないので、体を鍛えておくのは超アドバンテージだそうです。なるほどなるほど。

 

 

不老長寿メソッド 死ぬまで若いは武器になる(鈴木祐)

12月に参加する勉強会の課題本。
死ぬまでアウトプットし続けて、体を使って働き続けられて、幸せを積み重ねて行きたいです。そのための、現時点でもっともエビデンスがしっかりしていると思われるメソッドが、項目別(運動、睡眠、メンタルなど)にまとめられています。
 
まず興味深いのが理論編:苦痛・回復・往復のフェーズを繰り返すことで、『ホルミソス』のサイクルを回すことです。ホルミソスとは、適度な刺激(多すぎれば有害)を与えることで向上します。
人間の体には元々この、上向いていける力があります。でも、現代の快適な生活の中で温存されてしまいがちです。だから積極的に「揺らす」必要があります。
 
私がまずやってみようときめたこと。日常生活の中でちょっとだけ階段を駆け上がったり、短時間だけの筋トレを合間にちりばめたり、ランニング中に1分間だけスピードを上げたりして、身体機能を「揺らして」みようと思っています。HIIPA(日々の活動を高負荷で行うこと)というそうです。呼吸がほんのちょっと乱れ体がほんのり暖かくなるくらいを目指します。
 

老筋力(久野信彦)

筋トレグループのリーダーさんに紹介されて読みました。
百才を過ぎてなお、元気にそしてユーモアたっぷりに暮らす、きんさんぎんさん姉妹。テレビcmで一時話題になりました。そのお一人が百歳超えて筋力トレーニングを始め、歩く力はもとより 認知能力まで劇的に改善した、というエピソードがあります。
 
私ももちろん整体師として、筋肉の力を信じています。以前患者さんでこんなことがありました。 80歳を超えた方の足底筋膜炎で、痛みで足もつけない状態でした。私も正直言って、足の裏に至る筋肉は細くて小さく、おしりやももの筋肉とはわけが違うだろう。回復は難しいかもと思っていました。しかし、みるみる改善して行く姿をまのあたりにできて、まさに「筋肉は裏切らない、いくつになっても」を教えていただけました。
 
体調を崩したり、体の線の崩れを自嘲したりするにつけ「もう年だからね」と口にする人がいます。もちろんパーフェクトに、年齢が関係ないなんて言わない。でも人生100年、あと半分をそうやって過ごすの?自分の体はどなたさんからかの借り物、丁寧にメンテナンスしながら、この世の分を使い切ってお返ししましょうよ。と、自分に向けてもはっぱかけています。