悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

824 月明かりのロンド(ジェーン・ベヤジバ著 蛭川薫訳)

著者の蛭川氏、この本を訳出することが長年の悲願だったときいています。
タイのありふれた路地に住んでいる、年齢も国籍も来歴も違う人々(と、一匹)の物語です。一読していちばん心に沁みたのは、それぞれの人物の物語の根底に流れる静かな愛と、それを描く筆者の愛ある視線、それから訳者蛭川氏の、たくさんの人の生きる力につながるに違いない、という物語にかける愛です。
レビューを入れたくて、またそうでなくても物語の持つ力によって一気読みしましたが、これから人生の先々で、また読み返したいと思うだろうな。
私たちはこの不確かな生を、でもともに生きていくことはできる。そんなことを力強く再認識させてくれる物語でした。おすすめします。

遠距離介護の幸せなカタチ(柴田理恵)

先日読んだ「親不孝介護」の著者が監修した本。介護の概要をつかむために続けて読書した。
その間に、実家で母と一緒に時間を過ごす機会があった。本を読んであんなことをしよう、こんな風に話しかけようと考えていたのに、なかなか想像したようにはできなかった。それを踏まえてもう一冊読んでみると、また現実味を持ってシビアに感じられた。
今の私にとっては、具体的な介護制度の概要やお金の問題よりも「どうやって母の希望や本音を引き出すか、叶えてあげられるか」という箇所を読み込んだ。
 
・どう頑張りどう判断したとしても、後悔はゼロにはならないと腹をくくる。「後悔のない介護はない」
・親の言葉の上っ面を聞けても、それが本音かは分からない。エンディングノートもしかりで、書いてあっても決めてあっても、その選択肢が親の希望に沿ったものとは限らない。元気でいる普段のうちから、生き方や価値観を知るしかない
介護に正解はない。一番まずいのはこれが正解だと考え、もうこれで行くと勝手に決めてしまうこと。先回りしてあれもこれもダメと禁止してしまうケースが少なくない。
複数の介護者で共有して、とことん考え抜くプロセスが大切
 
一番近くにいる人は、親を思えばこそ、で禁止したり取り上げたりしてしまいがちだ。この年末から正月にかけて、我が家もそこの相談になりそう。うまく言葉にできない母、その気持ちを汲みながら、「どうやったら実現できるのか」を考えていきたいです。

徳を積む

今朝目覚めた布団の中で、なぜか「徳を積む」という言葉が浮かびました。不思議だなあ、でも1日頭に置いとこう。そうSNS投稿したら、人知れず徳を積む→→「陰徳」という言葉とともに、友人がこんなメッセージをくれました。

“Random act of kindness ” 直訳すると変だけど、要するに気が向いたときに親切にするみたいなことなんですけど、このランダムな親切が親切をした人の幸福度をあげるという研究結果があります。Yale大のScience of well beingの講座で学びました。
これを知って、周りの人のために親切にするっていうより自分の幸福度のために親切にしてると意識が変わったから、お礼言ってくれないってムッとしたりすることがなくなりました。
 ずっと親切でいるより週に1日5回親切にする方が幸福度が上がるという研究結果もあるので、無理していつも親切でいるんじゃなくて、時々気づいたときに自分の無理にならない範囲で親切にするというポリシーで幸せです😌
いやもう、この言語化に感動しました。
私もずっと、「情けは人のためならず」無理なく気が向いた時に親切にする。それは人のためじゃなくて、何の見返りもない親切は自分を幸せにするから、っていうポリシーで来ました。でもそれを、「自分の損得で考えていいんだ」と表現してきました。
 
例えば不愛想な人に対して、返事がなくてもいつも気持ちよくあいさつ「せねばならぬ」と考えると窮屈。でも自分が無理なくできる範囲とタイミングで、ニッコリ笑顔であいさつすればいい。
→「その方が自分が気分良く過ごせて得だから」と考えてきたんです。でも彼女のRandon act of kindnessによる幸福感のほうが、損得勘定よりも気持ちがいい!
 
多分小さな幸福感や感謝って、一人一人がPay forwardすることで世の中に満ち満ちていって、直截的にすぐ見返りがなくても、ある日誰かにポコっといいことが起こるんじゃないかというイメージを持っています。今日はそこに、陰徳っていう言葉も加わって、また幸せな気分が増しました。心理的安全な土壌で、ポジティブな言葉をかけあえる仲間がいることに感謝します(^^)
 
 

大阪的 (コーヒーと一冊)(津村記久子ほか)

江弘毅津村記久子両氏による、大阪に関する対談です。自分は〇〇がつく真面目な静岡人なので(自称)、関西のノリツッコミに永遠の憧れがあります。そっと柱の陰から盗み見る家政婦のように、その世界をのぞいてみたいのです。


・大阪は巨大な地方。憧れのお姉ちゃん(東京)の真似をする必死な妹(大阪)。

・茶化すときにわざわざ標準語をつかったり、受身形を使って凄みを出したりとニュアンス多彩

・大阪は「おもろい帝国」日々「おもろいフォース」の鍛錬に勤しむ。また、「おもろないハラスメント」「おもろいカースト」が存在する

・しゃべっている時に水位の調節ができる。相対的に、相手よりおもしろいことを言おうか、相手を立てておもんないことを言おうかと無意識に調整している。

・「トランプってヅラかな」って思い続けないとあかん。そしてハゲにはハゲ以上の意味がある。

 

未知なる大阪ワールド!多彩で雑多で衝撃でした。これまでの半生で関西に縁がなかったことが、めっちゃ損失に思えてきたよ。津村氏の文章も明快辻斬り調で、小説読んでみたくなりました。

54歳スピード婚(三宅民子)

衝撃的なタイトルと表紙がまず目を引く。そこに続く煽り文句もけっこうなインパクトで、戦略とはいえちょとタジタジする。
でも本書の真骨頂は、その成婚までに至る彼女のマインド変化や、身銭を切った努力の数々(赤裸々な失敗談も枚挙にいとまなし)。常人ならめげてしまうような体験も、その先のジャンプボードにしてしまう裏には、これと思ったプロには沿ってみる従順さがある。また、率直に自分の生い立ちを顧みる冷静さもある。
 
一読して一番心に残ったのは、「相性が良いということは、つまり無理をしなくても素直に喜んでもらえるということ」という点だった。がんばって相手をあげておだてて、機嫌をとっていくようなことをしなくても、お互いに無理をせずとも、高めあえるっていいな。それは婚活に限らず、人間関係全部につながりそうだ。
 
それから、他のことなら「誰が無理といっても、自分はこんな幸せを追い求めるんだ、それでいいんだ」と思える。なのに、結婚だのパートナー探しだのとなると、とたんに「むりむり!」が先立ってしまうのはなぜだろう?という指摘にはハッとした。確かにそうだ。筆者の述懐に沿って、自分も過去を振り返ってみたら、自分も思ってもみなかったほど、親・・・おもに母親からの影響を受けているんだなと気づけた。
 
筆者が「マー君」と心を通わせる瞬間のエピソードには、大笑いとともにほろっときた。そんなふうに無理せずに、相手を幸せにしてそのことによって自分も幸せになれる関係性ってすてきだな、と清々しいです。身銭を切った話は、心に響きます。
 
 
 
 

推しは目覚めないダンナ様です(そら)

以前第一巻を読んでいたので、新刊が気になりました。これアンリミテッドでもあるんだね!でも書籍でゆっくり読むのもお勧めです。

 

ダンナさんが低酸素脳症で寝たきり生活になって2年目、コロナあり感染症ありで思うようにリハビリもできない。推し活もできない。そんな中でも、少しでもよりよく快適になろう、良い面をみようとしている著者と、その想いに応えようとしてくれる医療従事者たちのがんばりが伝わってきます。

ああでもないこうでもないと、嚥下訓練を工夫するようすに、共感しました。

友人知人に、イメージを重ねながら読みました。

世界基準のヒプノセラピー入門(今本忠彦)

ヒプノセラピー催眠療法)の概要が知りたくて読みました。世界基準の、と冠しているということは、大仰で大衆受けを狙った、パフォーマンスとしての「催眠術」とは一線を画したい、ほんとうの魅力を伝えたいという熱意があると期待しました。
催眠療法の基本姿勢を、分かりやすく伝えてくれる本でした。
・顕在意識と無意識の間には、「判断のフィルター」がある。外的要因を無条件に取り込んでしまったら無防備すぎる。いわば門番の役割
・セラピストとクライアントが、ともに行う姿勢や信頼関係がだいじ
・最初にどうなりたいかのゴールを設定する
・心理トラブルを外的要因のせいにするのでなく、主体的に生きるための手助けをする
 
読んでいて感じたのは、コーチングや、私が行う整体の施術と共通する部分がとても多いなということです。最終的な答えは本人にあって、良くなっていく力を本人の中から引き出していくというところ、信頼関係が必要で、一方的にいただくものじゃなくてともに歩むものであること。方向性や目的を定めておかないと、かえって危険なところ。
プロとしての力を借りながら、あとは日常のケアが必要というところも同じですね。
 
実際、コーチングを受けながらトランスしかけて怖かったこともあるし、自分が施術中にクライアントがトランス状態になることもある。もっといえば自分自身も、ここではない世界に足を踏み込みながら施術していることもあります。
 
私自身は、機会があったら前世療法を受けてみたいと思ってます。前世診断を受けたことがあって(これは双方向ワークじゃなくて、一方的にいただくやつですね)、納得はしてるんだけど解決はしてないから(笑)
でも糸の切れた凧になっちゃうとこわいので躊躇してます。自分の感情との折り合いを訓練しながら、機会を待ちたいと思っています(^^)