悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

コテンラジオ 教育の歴史の回を聴いて考えたこと

ランニングや家事のお供として、ポッドキャストでコテンラジオに親しんでいます。『25 教育の歴史』シリーズ12回では、各国で公教育が誕生し現在の形を作っていく、その前段階までのまとめをしています。コテンラジオの3人組は、人物のストーリーを軸にしたり、プログラミングになぞらえたりするのがとても巧みで、歴史を興味深く聴けて、ついつい学んでしまう、という面白い仕掛けです。

 

ルソーが理論を語り、ペスタロッチが不遇の中実践を重ねます。それぞれが人生をかけて行動し、後にバトンを渡していく。逮捕されたり、心身を壊したりしながらも。

生前は、評価、賞賛されて拍手喝采されるわけでもなく、挫折や不遇、苦悩の中で死んでいる事が多い。

なのに、彼らが与えた影響は僕たちに「直接的に」影響を与えているのはなぜか?

 

歴史を俯瞰してわかることは、

死ぬ時に不幸だからその人の人生がダメなわけではないということ。

 

しかもバトンを渡している自覚すらない、究極的には、自分がそれを実現したくてやってるだけ、それなのに勝手に後の人がめっちゃ感化される。あまりにもその人が純粋にそれをやっているから。

バトンを渡すというよりも、落ちているバトンを次の人が拾い上げるような感じ(笑)

そして、触発されてその人もそんな風になっていく。

そして結果的に、1人1人が今の世の中の重要な要素を一つずつ積み重ねていく。

そのバトン渡しが歴史の醍醐味。

 

含蓄深いです。歴史を俯瞰する意義を見事に言語化されたて、おくればせながら歴史のひきだしを、作っていこうという気持ちになれました。

また、「そのバトン渡しが歴史の醍醐味」そのことを展開して、以下のようなことを考えました。

歴史の流れを人の一生になぞらえるとしたら、今現在実現したくて、重要と思えること、エネルギーを出せることに瞬間瞬間集中していくことで、

その時には結果は出なかったとしても、小さく生き死にを繰り返しながら、意図しなくても大きなうねりとなって明日にバトンをつなげていけるかもしれないな、と。振り返れば点と点がつながって線になって行けるって、そういうふうに表現できるのかもしれません。

 

そう考えたら、自分ができることをポジティブに捉えなおせるように感じます。

ともかく日々のログをとりながら、今できること、今エネルギーを出せることを積み重ねていこうと思えました。