悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

ずっと夢を見る

5月の23日の記事(タイトル;らっきょうの塩漬け/カリカリ梅)で、チョコさんからこんなコメントを頂きました。

「大きくなったら何になりたい?」こんな質問をされたら私はなんて答えるのだろう?「凛としたおばあちゃん」かなあ・・・・

息子はまだちゃんと将来の夢という意味もわかっていないけれど、そのうち「電車の運転手さん」って答えるんだろうなあ。

この間、小学校6年生数十名の将来の夢を考えるという授業があって、参加してきたのですがみんな目がきらっとしてました。将来に制限なしにたくさんの夢が見られるというのは、なんだかうらやましいような。

>将来に制限なしにたくさんの夢が見られるというのは、なんだかうらやましいような。

たしかに小さい頃って、見られる夢に何の条件もなかったな。私も、娘を見ていると「この子は今から、何にでもなっていけるんだよね」って感じることがあります。

高校生のころ、先生に

「選択するということは、捨てるってことだ。」可能性を捨てていくことだ。と言われて、衝撃を受けたことを思い出しました。

この年になって、生活に付随するものをたくさん手にして

10代、20代のころのような身軽さは望めなくなりました。

実はこの週末、今勉強していることの研修会があって、

一泊2日で参加したかったのですが、それがいろいろで厳しかった。

前もってあちこちに子どもの世話を頼んで、周囲の人々に気を遣っていただいて、

宿泊はせずに一旦家に戻りつつ、自分自身も睡眠時間をけずって参加しました。

20代のころは、何の制約もなしに 毎週家を離れていたのですが。

そうして目標や夢に猪突猛進してる自分が、けっこう好きだった。

捨ててきたものもたくさんあるし、それについて自分がマイナスな感情を抑えきれなかった時期も長かった。

でも今はいまだ。その間に得たものだって まんざら悪くない。そして今の自分にとって、必要不可欠なものだ。

と、そう思っています。

ミスター・チルドレンの『蘇生』という曲に、こういう部分があります。

  叶いもしない夢を見るのはもう

  やめにすることにしたんだから

  今度はこの冴えない現実を

  夢みたいに 塗り替えればいいさ

たぶんこの歌詞、私にとっては、20代のころには共感できなかったでしょう。

夢をあきらめるなんてありえない。妥協も挫折もしたくない。それって、自分に負けることじゃないかな。どこかで、そういう堅い気持ちが強かったと思います。

でも今は、妥協でも挫折でもなく、現実を受け入れて、なおかつ新しい夢を見続けよう。そう心から思えるのです。

いや、チョコさんが否定的になっている、って言ってるワケじゃないからね。コメントをいただいて、こんなことを考えたのです。(はは)