悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

雪のおもいで

北国出身に方には「けっ」と鼻で笑われてしまうかもしれないけれど、私は雪が恋しい。天気予報で「雨または雪」などといわれると、つい「雪!雪!」と願ってしまう。

生まれ育った地域にはほとんど雪が降らず、たまに風花が舞うと、みんなおおさわぎだった。記憶の中で一度だけ、一面真っ白に(といっても5センチぐらいだったんだろうな)積もったことがあって、私は喜び勇んで小学校の校庭に出かけた。泥だらけの雪だるまと、髪を振り乱した小学生の写真が残っている。あまりの嬉しさに、手が動かなくなるほど冷え切ったのも気がつかなかった。「ばかだねあんたは」といわれながら、ストーブに張り付いていたのを覚えている。

娘たちも、今まで一度も雪を見たことがなかった。雪遊びってやつをしてみたい。させてあげたい。先日思い立って、「富士山こどもの国」に出かけることにした。前日に大慌てで娘の防寒着を買いに行き、友人にそりを借りた。

こどもの国は富士山のふもとだけど、雪は積もっていなかった。人口降雪機で、でかいホースの先から雪をふらせて、「雪の国」というコーナーを作っていた。まあそれはわかっていたから、異存はない。でも雪国で育ったちちは、管理された遊び方が物足りないようだった。「そりあそびはこんなもんじゃない、もっといろんな乗り方をしたり、コース作ったりしてぶつぶつ、なんだかんだ」と不満そうだった。「これはホントは雪じゃないぞ、氷だからね」などと娘たちに言い含めているのがおかしかった。

それでも娘たちはずいぶん楽しそうで

雪遊び、じゃなかった氷遊びを満喫した。よかったよかった。

私自身は、ちいさいころの反動か?学生のころ冬山登山をするようになって、雪の記憶が増えた。さくさくと新雪を踏んだり、片栗粉のような感触を楽しんだり、雪で水を作ったり?わかんじきも楽しかったな。雪の白と空の青、それに岩肌の組み合わせは美しかった。

何より、雪でしんと静まり返った山は、まったくの無音の世界だった。

「そんなのを、体験させてあげたいなあ」というと、ちちは「そういう本格的なのは、それこそ大きくなってから、自分で行けばいいじゃん」といった。そりゃそうだね。(はは)