今しかできないこと
「今しかできないことォせよよ」と、父はよく言っていた。
だから、18のときに私が北海道にひとり旅にいく、と言い出したときにも、一番に賛成してくれた。高卒で就職するつもりだったから、学生割引も長期休みも、「今しかできないこと」だったから。
出発の朝、父は小遣いをくれた。「かにを喰ってこい。そこでしか喰えんものォ喰ってこい」といったのを、覚えている。蟹は・・・ひとりで食べる勇気はなかったけど、函館でガイドブック片手に、海産物満載のラーメンを食べた。おいしかった。
ちちは早くに病気になったので、まだチャンスがある、と思っているうちに、海外旅行のチャンスを逃したのだという。いつでもいけると思っているうちに、行けなくなってしまったのを、悔やんでいたのだろう。
「今しかできないことをする」というのは、だから、私の中でひとつの判断材料になっている。迷ったときには、これは今しかできないことかどうか?と考えることがよくある。
学生時代には、「今しか見られない風景」ってのに随分惹かれた。山の上からの景色、断崖絶壁からの風景、川を渡渉しながら、流れの中央で眺める景色・・・人生でもう二度とみることがないだろう、という視点では、つい目を凝らした。
娘と遊ぶ、ってのも、今しかできないことだろう。先輩ママさんたちはよく、「今のうちだけよ」と口にする。そのうち遊びたくても遊んでくれなくて、まとわりついてくれた日々がなつかしくなるもんだ、と。
どうせほっといても、テレビをみたりパソコン漬けになったり、するようになる。だから今は、今しかできない遊び方をする。
どうせもうちょっと大きくなったら、長時間のドライブにも行列にも耐えられるようになるだろうから、今は無理してディズニーランドに行かない。・・・あ、ちょっと違った?
上の娘はずいぶん本を読めるようになった。図書館で本を選ぶときなど、じゃあこんなの読めるかな?と、「ちょい難しいレベル」を借りたくなる。でも、それはもうちょっと大きくなってもできる。だから、大きくなったらもう楽しめなくなるような絵本を、あえて選ぶ。
寝る前に並んで、絵本を読み聞かせる習慣だって、あと何年かだろうし。
私自身も、つい先々をみて、今をあせることがある。でも、今しかできないことは何かな?と考えると、ちょっと気持ちが楽になることもある。
今しかできないことは、「今だからできること」だと思う。そう考えて楽しみながら、毎日過ごしたいものです。(はは)