母の決意、私の決意
帰省中の実家より更新です。
帰省する私を追っかけるように、不動産屋さんからの連絡が入りました。なんと前記事に書いた件、大家さんのオッケーが出ました~{%流れ星webry%}オッケー、母さんがんばるよ。と、再びこぶしを握り締めた次第であります。
さて、そんな話を実家でするなかで、母親の話も聞く機会がありました。
ははの母は(紛らわしいな)、今でこそ悠々自適の生活ですが、若いころは そりゃあもう、人一倍の働き者だったそうです。夫婦で六畳一間からはじめて、転々と引っ越しながらやってきた、というのが自慢でした。
そして40歳を過ぎたころに、オットつまり私の父親が病気を得てしまったために、育ち盛りの娘3人を食べさせていかにゃならんことになりました。
さて、どうするか。そのとき父親は言ったそうです。「おまえも揚げもんぐらいできるら。」「そりゃできるよう、毎日ご飯作ってるだもん。」「わかった、それじゃ食い物やにしよう」
そこから女一代、いろんな苦労を経て、調理師免許も取って、私なんて大学まで行かせてもらったわけだ。
そういう昔話を、台所で麦茶飲みながら、はじめて聞きました。(小学生だったわたしは、のんきだったわ~♪)
だもんでね、あんたも大丈夫だよ。と、力づけてもらいました。母は偉いなあ。
奇しくも母と、同じような年代で人生が新展開するわけで、おもしろいもんだなと思いました。
さて時間がないので今日はここまで。(はは)