悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

施術所 ぬかみそ論

新しい仕事場を借りて半月たった。玄関を開けて、いつものように「おはよーございます」と声に出して、空気を入れ替える。そして鉢植えに水をあげる。入居したときの消毒臭は、だんだん気にならなくなってきたが、まだ「新品」の雰囲気は抜けない。

先日、本格的に忙しくなる前にと、師匠の施術所に出かけてきた(←今後、「本格的に忙しく」なる予定でいるところが、楽天的と言えばいえる)。訪問は、卒業を間近にひかえた時期いらい2度目だった。

初めてのときには何しろ、師匠がまじめに汗をかいて、私たちに教えて頂いているとおりの施術をしていることに感動した。そして患者さんたちが、うれしそうに入ってきて、うれしそうに施術を受けて、またうれしそうに感謝を述べて、帰っていくのだった。何人かは、ちょっとした手土産(それは手作りの惣菜だったりした)を持参していた。

師匠の施術所は、とても居心地がよかった。いるだけでうきうきと嬉しく、自分も施術をがんばるぞ、きっとやっていけるだろうとポジティブな気分になれた。

ひとことでいえば、人々のプラスの感情で満ち満ちているのだろう。そういう空気が、人の治癒力を呼び覚ます部分もあるんじゃないかと思う。

今回の訪問でも同じようなことを感じ、不思議だなあと思っていた。そして見学後、師匠を施術させてもらった。

そこで自分が施術するのは初めてだったが、ハアハアと汗をかいて意識を集中しているうちに、なんだか楽しくなってきた。

いつもだったら、師匠を施術する緊張でいっぱいいっぱいになってしまうはずなのに、楽しいのである。自然と笑みがこぼれてしまうのだ。これにはまいった。いるだけでなく、施術する側も楽しくなれるのか。

師匠はその場所で20年近く、ひとすじに整体の仕事を続けている。延べ人数は万単位にのぼるらしい。たくさんの人がやってきて、様々な感情を持ち込み、師匠とかかわり、あるいは感謝しあるいは感動して、帰っていったのだろう。つまり年季が入っているのだ、師匠の施術所の空気は。毎日毎日手入れして、すっかり味の練れたぬかみそみたいなものだろう。20年の味である。

ひるがえって、ワタシの施術所はたかだか半月。まだ空気はかたく、新しい。

これからだ、と思う。

ぬかみそは、奇をてらったものを入れても美味しくならない。地道に毎日手を入れて、おいしい塩とおいしい水で、熟成していくしかない。

でもありがたいことに、おいしいぬかどこを持った人から、「タネぬか」をもらうことはできる。

今回私は、ふっと「そうだ、師匠のとこに行ってこよう」と思いつき、実行したのだが、それは「タネぬか」をもらいにいく意味があったんじゃないかと思う。師匠の施術所の空気を吸って、施術を見ていたら、私も元気が沸いてきた。

今日患者さんを施術しながら、気がついたら私も笑っていた。幸せなことに、患者さんによくなっていただきたい、というポジティブな念に満たされていた。私も自分の施術所を、育てていこうと思う。(はは)