悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

困難でも、希望のある道を行く

録画しておいた『プロフェッショナル 仕事の流儀』134回をみる。移植治療のエキスパートである外科医の話だった。治療法がないといわれて病院を転々としてきた患者たちの、最後の砦となっている。

圧巻だったのは、多臓器を巻き込んだ腫瘍のあった患者の手術。当初から20時間ほどの大手術と見込まれていた。医師は前日に検査画像をたんねんにチェックしながら、「その場で対応していく要素も強い。最終的に撤退する可能性もあり、見極めねば」ということを言っていた。

おなかを開けてみると、臓器の癒着や異常な血管など、想定外の事態が多く、手術は難航する。助手が次々と交代していく中、医師の代わりを務められるものはいない。

手術時間が22時間を超えたところで、膵臓を切除するか、破れやすい血管を丁寧にはがしていくか、という二者択一を迫られる。前者をすれば一生インシュリン注射がはなせない。後者は手間と技術を要し、大出血の危険性をはらむ。

そのとき医師は、タイトルの道――困難でも、希望のある道を選ぶのである。

ちょうど同じような話を、友人としていたところだった。

岐路に立って二つの道を比べた時、どちらの道も困難に感じられて選べないこともある。

それぞれのメリット、デメリットを並べてみても、活路が見いだせない。

そんなときに、どちらが面白いと思えるか?と自問して選ぼうと思いついたら、スッと楽になった。

なるほど希望のある道、という考え方もできるなと思った。

たとえばそれは自己管理にも応用される。

身体の症状があるとき、人に頼って治してもらおうではなくて、自己管理意識のあるなしが大きく作用する。いわば「ずっと同じ症状を持ち続けるか、ずっと自己管理するか」「ずっと苦しむか、ずっと努力するか」

そういっちゃうと大仰だけど、どちらが希望があるか?といえば、もちろん道は明らかだ。よし、そう考えたらストレッチしようとも思ってもらえるかも。

手術は26時間を超えて終了した。患者さんには8歳の息子さんがいて、生きる希望のもととなっていた。医師は、「大変でも、できることはやらなきゃね」と笑顔をみせた。そう言いながら人にできないことを、しかも全身全霊を込めてできるってすばらしいですね。