63.3
先日書いた、道路の崩落の話のつづき(ちょっとまじめ)。
不可抗力の事故や事件について、ちょっと考えさせられています。
危ないだろうから→通らない、というわけにもいかない(迂回路は、山間地では果てしなく迂回してるからね)。その道を、毎日通っていきます。
たぬきを避けてハンドルをとられそうになったり、カーブで砂に滑りそうになったり。今日も大雨の中、目の前で道路にかぶさった木から大きな枝が落ちてきて、ヒヤッとしました。
バイクで走りながら思い出したのは、数年前の土砂崩れのニュースです。
たしかおかあさんと、乳児・幼児の3人が乗った自動車が巻き込まれ、2日後だったか、幼児だけが奇跡的に救出されたという事故がありました。レスキュー隊が、おむつの幼児を抱き上げてリレーする姿に涙が出ました。
おかあさん、どんなにか生きたかっただろうなあと思います。すぐに亡くなったのか、しばらく息があったのか。いずれにせよ全力で、わが子に付き添い励ましただろうなあ、なんて考えました。
もしも自分の命が、想像以上に限られているとしても、どうかあと少しだけ時間をくださいと願います。あと少しってどれくらいか?子供が自分の力で、生きていけるようになるまで。
もういいよと思える日が来るか分からないけど、今はまだ小さすぎるな。
そんなふうに考えていたら、連想的に、自分の父を思い出しました。
生家の茶の間には、テレビの上に飾り戸棚がありました。そのガラスに、父は「63.3」と書いていました。
それは末っ子の私が高校を卒業する予定の月で。父は難しい病気で余命宣告されたけど、そこまでは生きたいと願って、毎日を過ごす茶の間に、目標を掲げたのでした。
神様、あと少しだけ猶予をください、子供を育て上げさせてください。そう願って手を伸ばしたんだろうな。
それを書いたときの父の心情が、やっと今ごろ理解できたように思えました。
諍いの多い家庭だったから、今でも反面教師にしているところもある。でも、あの数字がいつも、茶の間にあったんだな。そう思ったら、自分の育った環境を、これまでよりも認められるように思えました。
気がつけば、父が病を得た年齢に、私ももうすぐ手が届きます。