明らかに見極める
仕事の後、整体のグループの師匠と電話で話した。
施術所にこもって仕事をする毎日が続くと、一匹狼の私たちは「井の中の蛙」になってしまう。さいわい私はグループの事務局を受け持たせていただいているので、時折こういった機会に、喝を入れていただける。
師匠はずっと高みにいて、
私たちはそこを目指している。
師匠も私たちに伝えたい。しかし伝えられるレベルに、私たちが達していない。諸先輩は私よりずっと前を走っている。師匠から教わることのできる内容は、こちらの受け皿次第だということは頭では分かっている。下っ端の私はあせる、追いつきたい、もどかしい。
師匠はきちんと整理された引き出しに、ぎっしりと蓄積されたものがある。私にはその引き出しのハコすらない。
ある人が言った。
あるとき、悔しさは自分の実力がない、という点に尽きるのだと悟った。これからは地道に努力して階段を登っていくしかない。そういうふうにあきらめたときに、いや、「明らかに見極めた」ときに、楽になれた。
それからは実力をつけていく上での悩みはあったけど、芯はぶれなかった、と。
私もあきらめた上で、あきらめない、と思う。
明らかに見極めて、前を向こう。
どうせできないと投げずに、一歩一歩進んでいこうと思う。
師匠はゴッドハンドだけど、その「手」は何もとくべつなものじゃなくて、伝えられるものだと師匠自身が信じてくれている。着実な基礎の積み上げで、達することのできる高みだと断言されているなら。
目指すべきものがあるのだから、そして出会ってしまったのだから、目指すしかない。