映画「107+1 ~天国はつくるもの~」と、ドイツのおもいで
友人に勧められてこの映画を見たのは、今回の震災の数日後のことだった。大川の仲間が被災地支援に出発した翌日だった。
映画を見て以来、よく思い出すのは、10年以上前のドイツでのこと。
「ドイツに行くとごみの分別が面倒くさいらしい」と仲間からきいていた。実際、当時でたぶん10種類以上に分けていたと思う。今はどうなんだろうね?
そしてそれは、キャンプ生活をしていた、外国人である私たちにも課せられた義務だった。燃えるごみ燃やさないごみ、ぐらいが常識だった私は、かなり驚いた。
各人がきちんと分けて管理しなければいけない。日本人テント村の一角には、ごみ一時預かり所がつくられ(スーパーでもらってきたダンボールでできてる)、日々「これってプラスチックだよね?」「誰、紙パック開いてないのは~!」などと、なれない分別にてんてこまいだった。
例えばタバコの空き箱一つとっても、「紙ごみ」「プラスチックごみ」そし「銀紙」に分けなくてはいけない。くしゃっと丸めてゴミ箱に入れることはできないのである。
私が過ごしたのは、フランクフルト近郊の小さな村だが、収集日にごみ収集所にいくと、無愛想で腕っぷしの強そうなおじさんがいつもいた。腕にタトゥーも入ってた(汗)
そして、分別になれない私たちを「来たな」という顔をして待ち構えている。
私たちはおそるおそる、これは?と身振りでたずねる。すると「あっち!」とすぐさま指をさす。じゃこれは?あっち!なるほど、これはプラ扱いなのか、クリームがついてるケーキの敷き紙はこちらでしたか・・・と、私たちは右往左往しながらやっとごみを出す。
ダンケシェーンと頭を下げると、にやっと笑って「ビッテ」っていわれたっけな。
スーパーで買い物して、袋がついてこないっていうのもびっくりした。
それからリターナブル瓶もかなり徹底していて、買うときには瓶の代金込み。カラで返すとお金を返してもらえた。(少しでも滞在日数をのばしたくて、カラ瓶を集めてお金にしてる仲間もいた。汗)
瓶の種類も少なくて、飾り気はないけれど、今思えばリユースしやすいようになっていたんだろう。
飲料水のコーナーはかなり大きかった。水道水が安心して飲めないからだよね。ペットボトルもあったけど、これも瓶でケースで売ってた。リッチな仲間はよく発砲水飲んでたけど、それも瓶だったように思う。
たばこといえば、こんなのもあった。
20本ずつの小箱が当たり前だと思っていたのに、100本だか200本だかの大パックもあった。ちゃんとスーパーで買えた。
考えてみればパッケージが無駄でしょ?合理的だよね。
だから私は(当時タバコすってた)、お気に入りのペコちゃんの空き箱をたばこ入れにしてた。なくなったら補充すればいい。
それからもうひとつ、「自分で巻く」っていう選択肢もあった。これが一番安い。紙とタバコの中身を別売りしていて、自分でペロッとなめてくっつける。
フィルターもなければさらに合理的でごみがないから…なのか。
まだ今みたいにエコロジカルっていう言葉も一般的じゃないころだった。私も日本に帰ってきて、思わずタバコの空き箱を分別してしまいそうになる自分に苦笑いしながらも、あ~めんどくさくなくていいや、と、くしゃっと丸めて捨てる生活に慣れた。そんな記憶も忘れてしまった。
映画の中で、久しぶりに「7代先の子孫をおもった生活を、今する」という、ネイティブインディアンの言葉をきいた。そしてその言葉と、アマゾンの森が禿げ上がっている映像や、今回の震災での津波の映像、原発の問題とあわせて、もやもやと心の中であわ立てている。
ボーキサイトの発掘現場の、赤茶けた大地が頭に残ってる。
そういえば昔は家でも瓶ビールだった。私が飲む缶チューハイだの缶コーヒーだのは、ここから来てるんだ。
リサイクルしてますぐらいで、いばっていちゃいかんかったのだ。
そう思いながら、使用をゼロにする根性はないけれど。
それでも私はこう思っている。震災を機に、日本はきっと今までよりも、よい方向にかわる。かわらなくちゃ浮かばれないじゃないか。
私もかわる。もう変わってきている。
一緒にかわろう、少しずつ。一人の100歩より100人の一歩だもんね。
映画に興味を持ってくれた方は、ちょっと長いけど、予告編だけでも素敵だよ。
こちらのページで、パート2の予告からごらんください。