悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

毎日のごはんについて

親元をはなれて一人暮らしをしていたころ、ときおり届けられる小荷物は、嬉しいサプライズだった。

宅急便屋さんが帰るや、開けてみて、とりあえずすぐ食べられるものをムシャムシャしつつ、仕分けにかかる。ウチのばあい、たいした手作りものが入っていたわけではないけど、そうめんとか缶詰とか贈答品のかつおぶしとか。なぜかいつも、そうめんに桃屋のつゆが添えられていたのを思いだす。

海外のキャンプ場に滞在していたときのこと。「荷物を送るからね」と言われて楽しみにしていたが、待てど暮らせど届かない。電話できいてみると、いつものように荷造りして郵便局までは持っていったものの、あまりの航空便料金の高さにビックリしたのだという。

それでも引っ込みがつかずに送って…といくようなところだが、ウチの母はやめて、お持ち帰りした。

「もちかえったのオ!?」

「だってもったいないじゃん」

ウチらしいなあと、友達と笑い話にした。いつものように桃屋のつゆまで詰め込んでいたらしいが。

このところ娘と、「家を出てひとりぐらしをしたら」という設定で会話することがある。

「私、思いっきり太りそうだなあ」

「コンビニの近くには住まないほうがよいね」「うん」

「荷物送ってやるよ。それまでには野菜上手に作るようになるから、イモとか芋がらとか」

「芋がらはうれしいかも~」

「ヤツガシラは剥いてから送る」

「そこまでするなら煮ものにして~」等々。

お互いにチョットずつシミュレーションして、心の準備をしているようなところがある。

きっと過ぎてしまえば、あっというまに独り立ちしていくのだろう。

今のように「留守番だ。さて、晩ごはんはどうする」と頭を悩ませる時間は、短いんだろう。

それから先、子どもがどんなものを選んでどんな食生活をしていくかに、口出し手出ししたくてもできなくなるんだな。

下の娘がもらってきた、市内の作文集に、こんな会話がのっていた。

「ママの一番のしあわせは、○○と△△のごはんを作っているときだよ。ママの作ったごはんが、えいようになって、二人の体を作るんだと思うと、わくわくして、幸せな気分になるんだよ」

そんな心持ちで、日々ごはんのしたくを整えているか?としみじみふりかえったし、

同じようなことはこれまでも考えたり、読んだりはしてきたが、

(ちょっと早いけど)親離れ子離れのカウントダウンがちらつくようになってきた今の私には、

ほんとにそのとおりだよなあと身にしみた。

中学生が、仰げば尊しを練習し始めたらしい。