悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

親はさぼらず

小学校に上がるころの息子さんは、「立たせていてもぐらぐらするほど」頼りなかった。と、ばあちゃんは懐かしそうに目を細める。ほれ、しっかりしてよと靴下を渡そうとすると、「足をひん出した(差し出した)」もんだと。

ばあちゃんにもそうした、若い母親だった時代があるんだなあと、当たり前のことを思った。

毎日弁当を持たせた、忘れ物があれば追いかけた。当時にはめずらしく、参観日にはかならず出席した。

部屋の布団をなおし、勉強でおそくなれば起きていてやり、風呂を薪であたためてやり、自分はしまい風呂に入った。

学校で、どの程度子供に自立させているかという話題になり、なんでも自分でやらせているという母親たちのなかで、正直に話をした。

ひとりからは、「そんな育て方をしていたら、ろくな人間にならない」と言われた。

先生はどう話してくれるかなと黙っていたら、「○○君のお母さんは、時間があるお母さんだから手をかけられるのでしょう」と言われた。

そうじゃあない、と、思わず先生に口ごたえしてしまったそうだ。この方には珍しく。

「子供っていうのはなあ。

 家を出れば、もう何もかも、自分ひとりでやっていくしかない。

 そういうときに、ああお母さんがこうしてくれたっけな、という思いが、ずっと残るじゃん。

 家にいた時も出た時も同じじゃあ、ありがたみというものがないじゃないか。」

ばあちゃんの子どもさんたちは、高校に上がるときにみんな家を出たが、「一度だって困らせたことがない」というのがばあちゃんの自負である。ばあちゃんはひかえめに、でも確信を持って、そう話してくれた。

現役で世話を焼いている?私としては、ついつい自分でできることが増えてほしいと願ってしまう。もちろんそこは、バランスだとは思う。しつけと甘え。手rをかけることと過干渉。でも、つないでいたい手を親の側からはなすようなことはしたくない。いずれ、黙っていても手を放して歩いていく。

「親がちょっと、なあ、いそがしい思いをすればいいだけのことだから。

 いずれにしても、親はなあ、さぼっちゃいかん」

しみじみ沁みたばあちゃんの話、書き残しておきます。