悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

ありがたいねえ

第36回(平成23年)「ごはん・お米とわたし」作文・図画コンクール

内閣総理大臣賞受賞 

涌谷町立第一小学校6年 中村早希

タイトル   ありがたいねえ。

    

三日目、凍り付きそうになる両足をカタカタ震わせながら考えた。

(そうだ、あの日も、私はご飯を残していたんだ。しかも、私たちの学年の

残飯量は、毎日、目立っていた。)

あちらこちらから、せきをする音が聞こえ、避難所として用意された教室に響いた。

そして、小さい子が泣き出す。

「おなかへったよお。」

その子たちのお母さんが、二人をだっこして、教室の外へ出ていく。

「すみません。」

小さな声だった。私は心の中で返事をする。

(誰も迷惑なんて思っていませんよ。)

丸二日、食べ物を口にしていない。突然、恥ずかしいという思いが押し寄せてきた。自分の意志で、食べ物をそまつにしてきたことに対する恥ずかしさ。

「え、本当に。やったあ、やったあ。」

「もらえるんだって、おにぎり。」(うわあ、三日ぶりのごはんだ。)

配給されたおにぎりを両手を器にして、半分腰を曲げて受け取った。

いや、頂いた。でも、あれほど待ちのぞんだおにぎりなのに、食べるのがもったいないように感じられた。友達と、こんな会話をしながら、寒さや恐怖と戦っていたのだ。「食べ物が食べられるようになったら、最初に何食べたい。」

私たちの答えは、三人とも、おにぎりだった。

 この時、私の耳に入ってきた言葉、

「ありがたいねえ。」

近くで窓の外をじいっと見つめながらおにぎりを食べていたおばあさんの言葉だった。この言葉によって、手の中のおにぎりが、よりいっそう輝いて見えた。感謝の心が、つやつやと光っている。友達を顔を見合わせ、どちらからともなく、口にした言葉。

「食べるよ、食べるよ、せえのっ。」

口にしたおにぎりの味は、たぶん、一生忘れないと思う。

「一つ夢、かなっちゃったあ、私達。」

お米の味をかみしめながら、自衛隊の人に手を合わせ、何度も何度も(ありがとう。)を繰り返した。

 今、思う。あの日のおにぎり、あれは希望だった。あのおにぎりがあって、私がいる。おなかがへった、と泣いていた二人の命がある。寒さとたたかっていたお年寄りの方々の命がある。あれは、千二百の尊い命を救った、まさに命のおにぎりだったと思う。多くの手と、その思いが実らせるお米だからこそ、私たちに希望を与えてくれ、明日を感じさせてくれたのだと思う。支え、支えられるための力を生み出してくれたお米に感謝したい。

(ありがたいねえ。)

中村さんは5年生のとき、東日本大震災を経験。海から500メートルの場所にあった自宅は全壊したそうです。