悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

100歳。今日も楽しい(吉沢久子)

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夫の古谷はしばしば「美しいものは、どんな小さなものでも見逃すな」と言っていました。私の大好きな言葉です。

「美しいもの」というのは、人の心でもあります。「人の欠点は三歳の子供にもわかる。だから、わざわざ見る必要はない。でも、《あっ、素敵な人だな》と思ったなら、その人のいいところは決して見逃さず、とことん見るんだよ」とも言っていました。

 この言葉に深く納得したので、以来、美に敏感な視線を持つよう心掛けてきました。周囲の人々の内面的な美しさに対しては、心の中の拡大鏡を使って見つめています。これは、人づきあいをする上でとてもたいせつなことではないでしょうか。

 人からはピンチに見えることも私にとってはたいしたことではなかったような気がするんです。

 幼いころに両親が離婚して、10代にはいろんな苦労をしました。」・・・そのため、ずっと「自分は自立した女性になりたい」と思い続けていました。

 そのころから、「暗くなってもしかたない。どうせなら明るくものごとを見よう。そのほうが得だ」と自分に言い聞かせるようになって。だから、何が起きても深刻にならず、むしろ面白がりながら「それでは、どうしようか」と対策をかんがえ、なんとか乗り切ってきました。

 働きながら勉強をしていましたが、20代は戦争に翻弄されました。どうしようもないときは、あがいたりせずに「今はそういう時期」とやりすごします。ときには、じぶんらしく生きるために妥協もしました。ここで突っ張ると、いろんなことが壊れると感じれば小さな妥協はいとわない。それが、最終的には自分らしく生きることを可能にしてくれました。・・・

 昔、作家の坪田譲治先生が「目標は大きく持たない方がいい。望みは小さく持つ方がいい」と祝辞を述べられたのを聞いて感動しました。ささやかでも自分のできることをその日の目標にして、一日、一日積み上げていく。すると、それが何かの形になる。そんな生き方を、私はこの言葉から教わったんです。ことに、50代からの日々には、このように小さな幸せを積み重ねていくことが大事だと感じています。