悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

スキマ時間

先日体調をくずして、娘たちの相手ができない夜があった。部屋はちらかしていいからとにかく寝かせて~、と、ちちが帰るまでほうりっぱなしだった。

翌朝、スゴイ状態の部屋を片付けていたら、ままごと茶碗の中に見慣れないものがごっそり。

ビーズくらいの大きさで、グミのような感触のもの、これはいったいなんだ?

しばらく考えてようやく、輪ゴムを切り刻んだものだと気づいた。幼稚園から帰った娘に尋ねると、はさみで遊んでいるうちに、「こうひねると、切れるんだよ」と発見し、面白くてどんどん『ごはん』を作ったらしい。ヒマだったのねー。ごめんねー。

でも(子どもほったらかしにしといて、ナンですが)そういうヒマで何もすることがない時間って、子供時代に必要だと思う。たとえば、熱を出して寝てるしかないんだけど何もすることがなくて、時計の音が気になりだして、天井を眺めてたら模様に見えた、とか。することないなーって寝ころがって、畳見てるとか。

だから何を発見するとか、何かプラスになるというわけでなく。

          向田邦子さんのエッセイに、こんなことが書かれていた。

          脚本家の倉本聡さんに 「小さいころ 何してらした?」とたずねたら、

          「ぼうっとしてた」と応えたと。

そういう、いわばスキマの時間を、今の子どもたちはあまり持っていないように見受けられる。

子供時代の私が ぼうっとして過ごしたような時間は、

テレビやゲームやパソコンで くまなく埋められている。

そして原因は、それを与え、容認しているオトナにある。

以前娘が出席停止の病気にかかったとき、

友人が「そうそう、どう一週間すごしていいかわからないよね~。何もすることがないんだよね~。そうやって、子どもはテレビ漬けになるんだよね~」という見事な三段論法?で、ビデオを貸してくれた。

結局見なかった。

この友人は、子どもが寝ていなければいけないのが「かわいそうで」、ビデオを枕元でつけっぱなしにしているらしい。

散漫におもちゃであそびつつ、つけっぱなしのテレビをちらちらと見ている子ども。

親戚の家にきてるのに、ソファに座り込んでゲームしてる子ども。

考えてみれば、これは子どもに限った話じゃないなと思う。大人もわずかな細切れ時間を、携帯メールだの何だので埋めるのに躍起だ。

それが時間の有効利用だという風潮もある。できない人は非能率的だと。

でも子どもは、いやおうなくさらされ、スキマ時間の経験すらないのが、このごろ気になっている。(はは)