悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

子どもと育ちあう/ころしあう

先日、娘に「ばか!」と言ってしまった。

怒らないで叱るようにしよう、なんて ブログには格好つけたことを書いていたくせに

現実では吐き捨てるように、捨て台詞として口にしてしまった。

理由は実にくだらない。くだらなくて説明するのも、いやだ。つまるところ、私の提案に乗らなかった(言うことをきかなかった)というだけだ。私は、能率や下の子のぐずる可能性を考えて、こうしたい、と主張した。娘はそうしたくなくて、ぐずぐずとはっきりしなかった。

それだけだ。いらいらして、感情ばかりの言葉をいくつも投げつけてしまった。

そしてその最後が、「ばか!」だった。

例えばその出来事の前に、何か私が感情を抑えていたり、体調が悪かったり、という理由があったとしても、子どもに通じる話ではない。マイナスの感情をぶつけられた、というだけだ。

今読んでいる本の中に、街で見かけた風景として、こんな話が紹介されている。

母親がすたすたと前を歩き、子どもが「お母さん 待って」と一生懸命ついていく。母親がイライラと立ち止まり、ひとしきり小言を口にしてから、手を引っ張って先を急ぐ。

『女の子の足元が、もつれながら懸命に歩いている姿が、僕にはあわれに思えた。私こそ分かってほしいのにね。そして子どもにふりまわされているお母さん。お母さんにふりまわされている女の子。各々が、とってもせつなかったです。歩くリズムというだけでなくてね。育ちあうんじゃなくって 殺しあっているって現実がね・・・』

私も口にしたとたん、自己嫌悪に襲われた。車中に重苦しさが漂った。

しばらくして「○○○(娘の名前)、ばかっていってごめんね」と謝った。

娘は涙声で「うん」とこたえてくれた。

「お返しにかばって10回言っていいよ。それで許してくれる?」

「かばかばかば 何回?」「3回。あと7回」

「かばかばかばかば。あと何回?」「7回。あと3回」「かばかばかば」

「許してくれる?」「うんいいよ」「よかった~。イライラしちゃって ごめんね~」

あーあ。自戒として、記事にしました。

心の広い娘に感謝です。

もう言わないぞ。と、またまた自分に言い聞かせるははでした。(はは)