悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

フィギュアスケート

今年の冬季オリンピックは、フィギュアスケートが大注目でしたね。日本代表の選抜から大騒ぎでした。私個人としては、真央チャンやミキティーよりも 荒川選手の凛とした美しさと、自分流を守る姿勢に注目していました。女子フィギュアの日を、指折り数えて待っていました。あんまり私が「イナバウアー」「いなばうあー」とうるさいので、ちちは閉口していたようです・・・・下の娘まで覚えちゃうし。

フリーの演技は 最終組が朝の6時台の中継だったので、それならばとライブでみました。コーエン含め、前の二人がつぎつぎと転倒した後での、荒川選手の滑り、よかったですね。「これが自分のスケート人生の総仕上げになる」という考えが浮かんで鳥肌が立った、というような記事を読みましたが、そういった気迫を感じました。特に、直接加算されないイナバウアーのわざと、それに続く3連続ジャンプ。あの場面で会場の空気が変わったのもうなずけます。

私も以前、あるスポーツで競技生活をしていたことがあるので(レベルは全然違うけどね)、本番前の心持、精神状態は少しだけ分かるように思います。どんなに自分の演技に集中しようとしていても、他の選手たちの様子は気になるでしょう。

ショートプログラムは いわば予選に近いもの、そこで突如注目を浴びて、アメリカその他の 初出場の若い選手たちは、がちがちでした。それからメダル候補のコーエンも、前々日とはすべりの印象がまるで違いました。

おそらくヘッドホンで歓声を遮断していても、会場の空気は伝わってくるでしょう。それに荒川選手自身も、「メダルなんて、その色なんて」とはいっても心は乱れるでしょうし、これで引退だというプレッシャーもある。

その中でのあの演技は、どういうマインドなんだろう?どんな裏づけがあるんだろう?

どうすればあんな強さが発揮できるんだろう?

昨夜、NHKスペシャルで 金メダルへの軌跡と題して特集を組んでいました。

自分の世界を確立し、世界選手権で優勝してからのルール変更。自分としては、得意技を多く取り入れて 自分の価値観で美しく演技したいのに、高得点のためには犠牲にせざるをえない。競技から離れようかと迷ったのも、共感できます。

でも荒川選手は、高得点を狙える演技と、自分なりの美しさの両立を模索し、納得いくまで修正を重ねました。レベル4は必須だけれど、安易に自分のスタイルは崩さない。世界大会に出場するたびに選択肢を試して、判定員の評価を検討しました。それからよく知られているように、オリンピック直前になって 曲も演技の構成も大きく変えました。

私自身は、自分の打ち込んでいたスポーツで求められる姿が、自分の理想と合わないと感じたとき、それを修正できませんでした。「それならもういいや」と思った。そのスポーツに関することなら、何でも面白い、とは思えなかった。つまり、「それも面白いよね」と思えなかったということです。

だからこそ、荒川選手の並外れたスケートへの情熱に、惹かれるのかもしれないな。

荒川さんはスタイルも守りつつ、競技生活を続けたのだから。

最後のジャンプを成功させた後 ちらっと見せた笑顔。

すべてがおわった後の、スタンディングオベーションを受ける姿。

スポーツ観戦で、よく「夢をありがとう」「感動した」「勇気をもらった」なんていいますが

自分でやってないのに・・・って、どこかで思っていたような気がします。

でも今回の荒川さんには、うーん・・・やられた、な。ライブで見ていたせいもあると思うけれど、テレビの前で 早朝ひとり、おんおんと泣いてしまいました。

荒川さんはオリンピックの抱負について、「もう一度荒川の演技が見たい、と 皆さんに思っていただけるようなものを」と語っていましたが、実にワタシ、おそらくもう、5回は見ています。

スポーツ観戦で ありがとうありがとう、ってこんなに思えたのは初めてだ。

イナバウアー』・・・今年の流行語大賞になったりして。リンクどころか地上でも真似できないけどね。(はは)