悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

子どもの安全

買い物中にママ友達にあった。

連れている子どもの数が少ないので、「あれ、上の子は?」とたずねると

「もう放りっぱなし。外へ行ったまま帰ってこないもん」との返事だった。

ちょっとびっくりした。だって小学校に上がったばかりの女の子だ。いくらご近所に同年齢の子どもが多いとはいえ、危険すぎるんじゃないの?と思った・・・言えなかったけど。

「この子もねえ、すぐについてっちゃうからラクだよ」と示された子は、年子の妹だった。

車とか、誘拐とか、気にならないのかな?

もちろん私も子どものころは、小学校にあがったころから、田んぼの一本道を通って、一人で友達の家に遊びに行った。それで平気だった。

でも残念ながら、時代が違う。どこでどんなことが起こっても、もう驚かない、驚けない。

私の住む地域でも、いわゆる未遂事件は口端にのぼるし、表に出てこない事件だってあるだろう。

もう 自分の子どもが巻き込まれるかどうかは、一種ロシアン・ルーレットのようなものだ。

だから私は、いくら家のすぐまえでも、子どもの姿が見えなくなると とたんに不安に駆られてしまう。いやがおうにも、最悪の事態が すぐに何パターンか、ぱっぱと浮かんできてしまうのだ。

一日の終わりには、ああ今日も子どもたちが、無事に一日過ごせた、と思ってしまう。そんなこと、考えたくないんだけど。

でも多分、うちの子だって近い将来、お母さんにくっついて買い物に行くよりも友達と遊んでいたい、というようになるだろう。勝手に玄関を開けて、自転車に乗ってでかけてしまうだろう。

先日図書館で、一年生の女の子たちが連れ立って、似たようなおしゃれな格好をして、絵を描きあっていた。もうあと少しで、娘もこうなるのかな、とさびしく感じた。

冒頭のママ友だって、無関心なのではなく、いくら不安でも 子どもが勝手に出かけてしまうだけかもしれない。

そうなると、親としては

自分の子どもに もしもの場合を考えたしつけをしておいたり

地域の安全を「なるべく」守るような協力体制を整えたり

そういう間接的な方法でしか 子どもを守れないんだな。

親って無力だな。出かけていった子どもが無事に帰ってくるよう、確信のない希望を持つしかできないんだな。そう考えると、ウツウツしてしまいます。

きっと近い将来、娘が遅くなっては いらん心配ばかりしてるんだろうな。(はは)