悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

小さきモノへの愛

友人宅へおじゃました。

そこの娘さんは小学生で、6歳・3歳の娘たちなんか 相手にしても退屈じゃないかな、と懸念していた。でも、3人で仲良く遊んでくれて、助かった。うちの上の娘は、このごろ「おねえちゃんがいると良かったのに!」と 無理な注文を出していたので、今日は楽しかったらしい。

友人はこういった。「あのこは、逆に、小さい頃から 近所のお姉ちゃんにずっと遊んでもらってたから、小さいこの面倒を見るのが当たり前になってるみたいだね」

実際、その子の表情には、ウチの娘たちをかわいいと思ってくれていることが見て取れた。大好きな人形に下の娘が手を伸ばしたときにも、ちらっとお母さんを見て、がまんしてくれた。

近所の子どもたちと遊ぶ機会にも、小さいこの面倒を良く見るらしい。

一年ほど前になるだろうか。

図書館で、上の娘と同じ幼稚園を卒業したおねえちゃんに会った。

下の娘が、なにげなく「これ読んで~」と絵本をさしだしたら、

その子はちょっと黙ってから、いった。「何で私が読んであげなくちゃいけないの?ママに読んでもらえばいいじゃない」

もちろん、虫の居所だってあるだろうし

必ずしも小さい子にやさしいだけが特質ではないのは、わかっている。

でも、私がこの出来事に妙にひっかかってしまったのは、

その小学生の女の子の、「小さきモノ」への愛情のなさが、自分と重なってしまったからだろう。

私自身、末っ子であまり小さい子どもと接する機会がなかったし、そういう素質もなかったと思う。家で犬も飼っていたけれど、特に愛情を深く注ぐ、ということもなく育ってしまった。

中学三年生のとき、姪っ子をなぜか一日、父と一緒に預かることになった。泣いている赤ん坊をどうすることもできず、父に「おまえは女のくせに、赤ん坊のあやし方も知らんか」といわれて、そんなんわからないよ、と泣きたかったのを よく覚えている。

自分の子どもが生まれたときにも、童謡をうたうことも なんとなくちぐはぐに感じてしまう自分に、情けなさが募った。

近所の子どもでも、動物でも、何でもいいと思う。自分より小さきモノに愛情をそそぐということ。そういう経験を、せめて下の娘には機会として与えたいな、と 感じている。(はは)