虫捕りあみで思ったこと
娘の予定帳に、「もちもの・・・むしとりあみ、むしかご(もっているひと)」とあった。生活科で虫捕りに行くらしい。二時間もあって、娘も楽しみにしている様子だ。
我が家には、魚捕りのたもはあるが、虫捕りあみはない。たもは枠も網もしっかりしているが、その分重いのが難点だ。それにもめげず、娘はこの夏、ぶんぶんとたもをふりまわしてトンボとりをしてきたが。
「大丈夫だよ、バッタ手でとれるし。いいよ、たもで」というものの、気になっていた。
体調を崩した下の娘を寝かせたら、近所のホームセンターの閉店時間が迫っていた。
「ちょっといってくるから!」と、自転車を飛ばして、蛍の光が流れる店内を走って、虫捕りあみをダッシュで購入した。
小雨の中、網をかかえて走りながら、つくづく「オヤなんて勝手なものね」と思った。だってお菓子やジュースだったら、いくらねだられても駄目!といったりするんだ。自分が嫌いなおもちゃは買わない。いくら欲しがっても、ラブ&ベリーのカードなんて論外だし。ウチの娘たちはガチャガチャひとつやったことがない。
なのに、虫捕りあみと聞いたら 一も二もなく買っちゃうんだな。娘がいいっつってんのに。
オヤとして、コドモにいろんなことを経験して欲しいし、その手助けをしようと思う。でも結局、オヤである自分のフィルターを通したものしか与えることはない。単純な話、たとえば民謡からクラシックまで、均等に平等に音楽を聴かせることはできない。自分が好きなもの、聴かせたいものを聴かせるんだ。
そういう環境の中で、コドモはオヤを手本にしたり、反面教師にしたりしながら成長していくんだろう。
娘はぴかぴかの虫捕りあみを、やっぱりニコニコしながら抱えていった。さて今頃、はりきって
走り回っているかな。(はは)