西の魔女が死んだ
友人が薦めてくれました。
主人公の少女は、中学校にすすんでまもなく、日々の生活に立ち止まってしまいます。そして一月あまり、祖母の家で過ごすことになります。地に足のついた、着実な日々の中で癒され、目覚め、回復していきます。そして感覚を研ぎ澄まし、自分自身で決定し生きていく力を得ていきます。
私もこんな子供だった。こんなふうに感じていた。そして現在の私にも、同じような迷いはあるなと感じます。
私がどうしても言えなかったことも、欲しかった一言も、この本の中にありました。
私たちはふだん、なまなましい生死に触れることなく、人工的なものに囲まれ、仕組みや出所のわからないものを受け入れて日常を過ごしています。
主人公の少女はある日、庭のにわとり小屋が荒らされ、とりたちが無残な肉塊となっているのを見つけて衝撃をうけます。それは私も同じだし、娘たちだって、昨日の晩御飯のチキンナゲットと、近所で飼われているにわとりを結び付けては考えていないでしょう。
でも少しずつできることから、折に触れて、少女がしたような「魔女修行」を―――つまり、自分自身に責任を持てる生き方を、求めていこうと思えました。(はは)