ありがとうの気持~「いのちの食べかた」を観て
少し前に、知り合いを通じて いちごを取りに来ないか、というお誘いを受けた。
いちごはもう名残の季節。実付きも落ちてくるのだろう。そろそろハウスの苗をすっかり片付けなくてはいけないから、その前に取れるだけとってもらえたら。きれいなのばっかりじゃないけどね。
もちろんいちごは大好きだし、少しぐらいマチマチだってジャムにすればいい。空き箱をたくさん車に積んで、ありがたくお伺いした。
大粒の雨であいにくだと思っていたが、ハウスの中に入ったら、それはラッキーだったときづいた。天気がいい日はサウナのようで、作業もままならないだろう。一列ずつ苗を見て回った。たしかに見栄えのいいようなものは少なかったが、捨ててしまうには惜しいものがたくさん実っていた。これから赤くなろうとしているものもあったが、そうは待っていられないのだろう。
かがんだ作業で腰が痛くなったが、雑に扱ってはもうしわけなかった。少しずつ箱はいっぱいになっていった。
そのうち、こんなに実ってくれて、見ず知らずの自分と出会ってくれて、ありがとう!という気持が、しぜんとわいてきた。娘といっしょに、「ありがとう!」「ありがとうね!」と言いながら、葉をひっくり返していった。すると不思議に、食べごろのいちごが目に付きだした・・・これは本当だ。
いちごはご近所におすそわけしてまわり、形の悪いものはその日のうちにいちごソースにした。アイスクリームにしよう、カキ氷もいいね!と娘は喜んだ。ありがとうありがとう。
そして今日、「いのちの食べかた」という映画を観た。
人間って、わたしって、こうなんだなとシンとした心で考えていた。現代はour daily food,私たちの日常生活・・・日常の食生活が、どのように成り立っているかというドキュメンタリーだ。
食べることと、生きていくこと。
気にしながらも目をつぶっていた部分だった。肉にしろ、魚にしろ、農作物にしろそれは一緒だ。
いのちをいただくことに鈍感な今の生活。そこに足りないものの一つは、感謝の気持だろう。
自然と湧き上がってきた、あの「ありがとう」の気持をわすれないでいようと思った。
そして子供に、でなくて、自分も含めて、いのちの現場をもっと身近にしていこうと感じた。(はは)