悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

疲れない体をつくる「和」の身体作法~脳に学ぶ深層筋エクササイズ

患者さんから、時々「疲れませんか」とねぎらっていただくことがある。

そんなときには、腕や指の力だけじゃなくて、全身の力を使っているので・・・とか何とか下手な受け答えをすることにしている。「大丈夫っすよう、自己管理も仕事のうちですから」と見栄をはる・・・こともある{%うーん…(シクシク)hdeco%}

でも実際にその言葉どおりで、ほぐしたいからといって、躍起になって指や腕だけで力んでも、受けている側が苦しいし筋肉もほぐれない。

「力を入れる」ことと「力む」こととは違う。

時々施術をしながら(だいたい仕事が忙しいときだ)、へんな体勢で力んでいる自分に気づいて、より深部からの力を意識しなおすことがある。そういう意識を持てるようになってきて、以前のようにどっと自分自身が疲れる・・・ということが減ってきた。

何事もおなじじゃないだろうか。例えば私たちは、箸や湯飲みを持つとき、必要最小限の力を入れている。ぎゅっと握り締めたりはしない。何度も同じ動作を繰り返すことで洗練され、より無理のない動作を体得していく。

ライミングをしていたころも、同じようなことを感じていた。

そういう経験があるので、整体においても同じだろうという見通しがあるし、だから焦る必要はないと思っている。じたばたとああでもない、こうでもないと模索していくうちに、より無理のないものが定着していくだろうと。

しかし自省は必要だ。

そういう意味で、本書疲れない体をつくる「和」の身体作法~脳に学ぶ深層筋エクササイズで『「力を入れる」と「力む」の違い』という一節を読んだとき、なるほどと膝を打った。

「力を入れろ」といわれると筋肉を緊張させてしまう。しかし、それは「力む」こと。「力を入れる」ことと「力む」ことは違う。

「ちから」は和語であり、「力(りき)」は漢語。もともとまったく違う言葉である。

「ちから」の「ち」は「いのち」の「ち」。漢字で言えば「魂」や「霊」であり、「血」や「風」と同じ語源。いのちは「息の魂」、つまり呼吸によって体内に吹き込まれた霊魂である。

「ちからを入れる」とは、ただ力むのではなく、そこに魂を吹き込むこと、そのような行為をいう。

私の仕事は、取り組む姿勢次第で、患者さんの筋肉との力勝負にもなりうるし、また魂を吹き込むことにもなりうるのだという視点は新鮮だった。

著者である安田登氏は、現役の能楽師でありロルファーでもある。日本の伝統文化である能に、ロルフィングアメリカ発祥の合理主義的な身体均整法)の知識を重ね合わせる説明は分かりやすく、心に響く文章だった。ちょい難しいけど面白い。私はこれを読んで、日常の姿勢に気を遣えるようになってきたし(わかっちゃいたけど、という部分が腑に落ちた)、前よりも正座が楽に出来るようになってきた。具体的には体の中心の上に首が続き、その上に頭が安定して収まっている・・・って感覚ですね。それがつかみやすくなってきました。お勧めします。(はは)