悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

仕事場近くの小学校の裏手を通りかかったら、二本の桜が目に留まった。一本はすでに葉桜。校舎の屋根に届きそうなほど枝を伸ばして、春の日差しを浴びていた。

もう一本は、背が低くて日当たりが悪そうだし フェンスにも邪魔されていた。それでも、やっと見ごろになったばかりのようだった。

先日新聞の投稿欄で、同じような「がまん桜」の話を読んだ。根元を踏まれてしまうその桜は、隣の桜よりも少し遅れて、それでもけなげに花を咲かせるのだという。投稿の主はいつも職場への行き帰り、少し遠回りしながらそこを通りかかって 桜を励まし、その姿を自分に重ねていたという。

今年は桜の咲き始めのころ、つらい出来事があった。公園のベンチに座って、目の前の見事な桜を眺めたまま、しばらく動けなかった。

そのときは涙も出なかったけれど、冒頭の小学校の桜に出会って、ああここにもがまん桜があるなあと思ったらやっと泣けた。

だから桜は私にとって、この先たぶん悲しい花になってしまうと思う。けれどもやっぱり、同時に慰めてくれる花でもあると思う。私も私のがまん桜を、大事に見守って生きたい。(はは)