悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

蜘蛛の糸

画像先日、こどもの授業の関係で、「自分ががんばって目標を達成した思い出を、お手紙に書いてください」と言われた。難しい親の宿題である。

そんなこんなで、久しぶりにクライミングしていたころの経験をあれこれと思い出した。

手紙には別のエピソードを書いたけど、こんなことを思い出した。今この時期に思い出したのには、それなりの理由があるんだろう。

小川山という、国内では有数のクライミングエリアがある。その中でもクラシックなルートの一つが、『蜘蛛の糸』。美しい一枚岩に、スッと亀裂が刻まれている。まさにその岩肌の唯一の弱点といえる。

クラック(岩の裂け目のこと)クライミングという分野に熱中したクライマーとして、いつかは登りたいとあこがれていた。 

でも、登ればいいっていうものじゃなくて、スタイルにもこだわっていた。

一般に『○○ルートをフリーで登る』というときには、そのルートのスタート地点から終了点まで、ロープにぶらさがったり安全器具にたよったりせずに、自分の手足だけで登りきることを指す。もちろん安全対策はするけどね。

何度も試登しながら、最終的に登ることもあるけれど、最良のスタイルは初見(=オンサイト)で、つまり一度目のトライで、なんの前情報もなしで登ることだ。

わたしは蜘蛛の糸をオンサイトするのが、ひそかな野望だった。

でもそのためには、体力的にも心にも準備が必要だし、もちろんチャンスは一回だけだ。

その日、わたしはパートナーと一緒に、蜘蛛の糸がある岩峰の、別のルートを登っていた。はじめてのルートで、結構消耗したし時間もかかった。山頂から懸垂下降で岩のたもとにおりると、もう他のパーティは下山した後で、夕刻が迫っていた。

でもそのとき、間近で見上げた蜘蛛の糸のラインに、わたしは息を飲んでしまった。これまで何度も見上げていたのに、そのときはなぜか特別だった。記憶の中ではやや夕焼け色で、何かやさしく人の心を慰めるような印象があった。

今考えても不思議だけどね。

「あ、登りたい」と素直に思った。打算とか野望じゃなくて、単純に今登りたいと思った。わたしの後で降りてきたパートナーは「え、今から?」と驚いたけど、わたしの本気に気づいて、黙って付き合ってくれた。

じゃらじゃらとギアをぶら下げて、じゃ、お願いします。ハイ。といつもの挨拶をして、ルートに対峙した。

緊張はなくて、わくわくした。それが蜘蛛の糸であることとか、オンサイト・トライだとかってことはどーでもよく、ただ夕暮れの中気持ちよく登れていることに浸っていた。

不思議なことに、集中の極致のはずなのに、途中でずっと遠くのキャンプ場にいる子供の声が聞こえた。「がんばってえええ~」という声に「あいがんばるよ~」と応えたら、パートナーが下で笑ってた。

後になって考えてみると、それがわたしが初めて経験した「クライミング・ハイ」ってやつだと思う。初めて、と言ってもこれまでに2度しかない。

2度目には、終了点で落ち着いて周りをみまわしたとき、あたりの風景すべてが、光り輝いてみえた。木々の一本一本、葉っぱ一枚までくっきりと天然色で、何度も目をこすった。

蜘蛛の糸もすべてが美しく、わたしは満ち足りた思いで、とにかく楽しかった。

最後の最後、あれもう終了点が近い?と思ってしまったとたんに、夢は覚めた。本当にオンサイトできるかも!と欲が生まれてしまったんだな。その後はバタバタだった。その点が残念だけどしょうがない。

支点をとってパートナーに声をかけ、丁寧にクリーニングしながら懸垂下降で戻った。パートナーと堅い握手。

それが蜘蛛の糸の思い出。次の日にキャンプ場からながめても、自分がほんとに登ったんだろうかと思ったっけ。もう15年ぐらい前の話だな。

思い出の詰まったルートは、たくさんある。そんな一本一本に支えられて今のわたしがあります。