悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

またまたほぼ日より 糸井重里さんのエッセイのようなもの

毎日更新されている、そして消えていくトップページより

長いけど引用。

本日このテーマに出合うのは、ちと運命的に感じたので。

いろんな選択をこの方式で考えてみるのは

今までとはちがった物差しを手に入れることになる、と感じました。

 ・いろいろいろいろの問題があります。

 実際には、たいていのことが、

 あっちの極端にも、こっちの極端にも走らず、

 「間のどこか」になるに決っているのですが。

 問題がまだ議論されている最中には、

 両極のどっちもゆずらずに、きつい綱引きをします。

 

 誰もが、先行きがどうなるのか、どうなるべきか、

 ほんとうに理解できて、

 すべてが予想ができるはずもないものです。

 ただ、こういうことは言えると思うんです。

 ぼくは、そういう場合、こうしてみます。

 

 赤でも白でも、まるまるどっちかになる可能性を、

 考えてみるんです。

 

 開国か、鎖国かという場合だったら、

 (1)世界中の国がすべて開国している状況と、

 (2)世界中の国がすべて鎖国している状況とを、

 それぞれ想像してみる。

 水が高いほうから低いほうに流れるように、

 自然な流れとしては、どっちなのか?

 すでに開国している国が鎖国をしていかないと、

 世界中が鎖国ということはないですよね。

 一方、それが何か問題をはらんでいたとしても、

 すべての国が他の国との関係を開いていくということは

 考えられないわけじゃない。

 だとしたら、やがては、(1)世界が開国というのが、

 自然な流れなんだろうな、と知っていながら、

 その時点でのじぶんの考えを育てていきます。

 

 他の例については、じぶんで考えてみてください。

 テーマはなんでもいい、「ソーシャルネットワーク」、

 「民主化」「グローバリズム」‥‥どっちに行くのか?

 

 で、ひとつ、おもしろいことがあるんですよ。

 世界中の人間が、すべて他者を憎み戦っている状況と、

 その逆に、すべて愛しあってる状況と‥‥では?

 どちらの可能性のほうが高いと思いますか?

 もちろん、えんえんと、両者の「間」のところに、

 その答えはゆらゆらしているのでしょうけれどね。

 

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。

明日、岡本太郎が生まれて100年、いろいろありそうです。