言いだしっぺは損なのか?
(「羊どろぼう。」糸井重里より)
阿波踊りでは、
「踊る阿呆に、見る阿呆」というらしいけど、
そこでは「踊る阿呆」になる人が、
たっぷりといるみたいで、ずっと阿波踊りは続いています。
歴史的に、人間という生きものには、
そういう特徴があるのかもしれませんが、
「踊る阿呆」よりも「見る阿呆」のほうが、
ずっと数は多いようです。
そして、見ている側には、
阿呆といわれるような理由もないので、
「見る利口」のようになっていきます。
何か言い出して「笑われる阿呆」よりも、
言い出した誰かの事を「つっこむ利口」のほうが、
何百倍もたくさんいるような気がします。
「つっこみ芸」というのは、たしかにあります。
そして、それはなかなかたいしたものです。
ただそれと、ひっきりなしの「あげあしとり」や、
「後だしじゃんけん」「重箱の隅つつき」は、
ちょっとちがうと思うんですよね。
おそらく、相手への「愛情」だとか、
ともに芸を作ろうとする協働の意思のある無しかなあ。
ま、そのへんは別問題にして、みんなね、
「笑われる阿呆」とか「言いだしっぺ」を、
もっと引き受けてもいいんじゃないでしょうか。