みえないことづけ
先日、ふと思い立って「はじめて」NHKのラジオ深夜便をつけたら、ほんの数分後に、
この頃気になっていた工藤直子さんの詩に、平原綾香さんがメロディをつけたものが、「深夜便のうた」として流れました。
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれて来た
そんな気がするのだけど
それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのか
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている
それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから
あいたくて
私の見えないことづけは、何だろうと、このごろずっと考えています。でもね、このところヒントを得たようにも思っています。
人は、「伝える」「つなげる(つながる)」「引き継ぐ」っていうことが、結局大きな意味での目的なんじゃないかなと考えてきたんだけれど、
その中で一人一人が、オンリーワンの使命を…つまりことづけを、持っているんじゃないかな。
その人にしかできないこと、というと大げさに聞こえて、「そんなもの自分にはない」と下を向いてしまうけれど、
ようは、伝えたり引き継いだりするモノや、その方法が、人に寄って違うっていうことなのかな~と。ぼんやり考えています。