悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

宮本常一の写真に読む 失われた昭和

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民俗学者 宮本氏が、おもに昭和30年代に日本各地を歩き、残した 庶民の暮らしの記録。 その膨大な写真資料の中から厳選して、解説をつけています。 地域のいろんな方から過去のお話をきくと、どうも昭和30年代に大きく生活がかわっているように感じることが多い。それ以前を体感していないのが、残念だけれど、学ぶことはできると信じたい。 「…昭和30年代が、今レトロ趣味を超えて見直されるようになったのは、その時代に、われわれ日本人が捨て去ってきたもののかけがえのなさに、ようやく人々が気付きはじめたからだろう。われわれは盥の水が少し汚れているという理由だけで、大切な赤ん坊ごと流す愚を犯してこなかっただろうか。 ことだてて得意な情景を写し取っているわけではない。洗濯ものにしろ、女たちの働く姿にしろ、カヤぶきの民家にしろ、子どもたちの笑顔にしろ、どこにでも当たり前に見られたごくありふれた情景ばかりである。それが4.50年足らずで、悉くこの地上から消滅してしまった。われわれが宮本の写真になつかしみを感じると同時に、あるせつなさがこみあげてくるのは、おそらくはそのためである。」 表紙の写真は昭和34年、静岡県水窪で撮られたものだそうです。 「暑い夏の日盛りの中、9人の子どもたちがランニング、半ズボン姿で、輝くような笑顔を浮かべている。なかには上半身裸の子どももいる。靴を履いているものより草履ばきが目立つ。 ...だが、そこには貧しさゆえの卑屈さのようなものはみじんも感じられない。未来を信じきった子どもたちの笑顔は、見る者の気持ちを幸福感でいっぱいにする。それはこの子どもたちが個々ばらばらでなく、地域というものと確固たる紐帯で結ばれていたからだろう。彼らは家庭の子であると同時に、というよりそれ以上に、村の子であり、社会の子であった。」