かみさんが見てる
理不尽、と思ったが、言い返さずに頭を下げた。
それから何日かは、ふとした拍子に
ぐるぐると心がざわめいた。
こんな言い方をすれば穏やかだったかも、とか
あんなことを言い出せば、ぐうの音もなく一突きにできたのに、とか
でも一番いやなのは、そういう考え方で自分の心を汚したり、鬼を住まわせたりすることだ。自分が損だ。
ある人が声をかけてくれた。「神さんが見てるから大丈夫」
かみさんが見てるから大丈夫。
こういうときには、かみさんに近くて、清らかなところに行って、と、
人のために体を使えばいい。
マイナスの感情につかまらないほど、へとへとになればいい。
そうできることに、感謝を持ち続ければいい。
そう思って、ばあちゃんのヤマの畑に行って、
ばあちゃんのために畑をたがやした。
土はさくさくと気持ちよくほどけ、空は青く澄んで、
畑は着実に整っていった。
「おお、きれいになったもんだなあ」この畑を「開拓」した、ばあちゃんの愛しきじいちゃんの声が、
聞こえてくるような気がした。