悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

私とは何か――「個人」から「分人」へ (平野啓一郎)

人間の基本単位は「一個人」では大雑把過ぎるのでは、という問題提起。読み進めるほどにナルホドとうなずける。これが本当の私、こっちは仮面をかぶった偽りの私、などと分けようとすること自体が不毛なのだ。本当の自分なんていない。多面体とすらいえない。
その時々に応じて分化していいし、
他者すら包含(または共有)してしまうし、
どのように表面化した部分を、より「これが今現在の自分です」と足がかりにしていいかは、都度都度決めてよいんだ。
 
懐かしの昭和のフレーズ「あるときは…あるときは…しかして、その実態は!」というテレビアニメのセリフがしみ込んでいる、私と同世代のあなた!その考えはね、ハイ、昭和ですよ。
 
そもそも一個人という考え方は、一神教から生まれたという考え方もナルホドと感じた。じゃあ八百万の神を根っこに持つ私達には、より受け入れやすい見方かもしれん。
自傷行為は真の自殺ではなくて「アイデンティティの整理」なのではないか、というのもうなずけた。
 
今の私は、方便として一個人の形を成している私。昨日までや、ついさっきまでの私と違うのは当たり前で変幻自在な私。今朝目覚めた私は新しい私で、グニャグニャ混沌の湖の中からにゅうっと顔を出したものだと考えると、楽しくなった。