悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

名言語録

ちょっと時間が空いたので、Kさんを山のハタケに連れて行った。

「かいこん(開墾)」のハタケをずっと作り続けてきたが、お父さんが亡くなって以来、ひんぱんには通えなくなった。足も弱くなってきた。今年は、そこでずっと作り続けてきた じまんの品種を、家のそばのハタケで作ってみたが、やはり納得のいくものが出来ない、という。土が違うのだ。

それでも、比較的手をかけなくてよいものをつくってきたが、台風以来行っていないので、気になっていたらしかった。

さほどの被害も見当たらず、ホッとした様子で ささげのさやを収穫した。

「このハタケには、どうしてこんなに草がないだかなあ」と、私が尋ねると、

「まあ、まめに取るには取るだがな」と、Kさんは控えめに言った。

「王道はないだなあ。手をかけるしか」「ほうだなあ。それに私は、とった草を焼くからな」

しばらく二人でさやを拾っていると、こう話しかけられた。

「この土を見ているとなあ。作らずにおれないだよ、○○さん」

お父さんと、そのまた上のおとうさんおかあさんと、焼畑(野焼き)からはじめたハタケ。「愛着、という言葉を、よくおかあさんが口にしたものだが」とも聞いたことがある。

地について生きてきた人から発せられた一言には、力があった。肥えた土のひとくれにも、魂がこもっているだな。