土に生きる、ということ
時間を見つけ、空もようと相談しながら、落ち葉集めをしている。
道路の落ち葉を集めて、畑や茶畑に入れる人が少なくなった。私が移り住んだころには、この季節、古い茶袋に落ち葉を詰め込んで、ケットラの荷台に山と積んでいる姿を しょっちゅう見かけたんだけど。
去年、仲良しのおばあちゃんに「埋めうない」を教えてもらった。
野菜のくずでも、大豆のカラでも、落ち葉でもいい。畑を片側からうなって、埋め込んでいくのだ。
ことしは、そうした場所としなかった場所とで、春まきも秋まきも、出来に歴然とした差が出た。
家と畑が離れているので、庭で堆肥や腐葉土を作っても運びにくい。うちには、このやり方が合っているかもしれない。
昨年よりも、土がやわらかくなっている場所を実感しながら、さくさくと鍬を使った。
この頃、静岡新聞に連載されている記事がある。
東日本大震災の原発事故を受けて、飯館村に全村避難の命令が出た時に、自死を選んだ老人の話だ。嫁にあたる女性が、語り継ごうと努力されている。
その土地に生まれ、土地に生き、全うできると信じて疑わなかった一農夫にとって、それがどれほどの宣告だっただろう。
私が小さな畑を耕し、そこで農薬を使わずに、自然の恵みを生かして土をよくしようと努力することが、
ささやかながらも次代につながりますように、と願っている。