介護民俗学へようこそ!
90代のTさんと、高齢者向け雑誌の特集記事の話をしているときに、こう言われた。
「だけんど俺は、若返りとか、そういう言葉は好きじゃないだよ。
若返りたいとは思わない。
だんだんに年をとって、今は今なりに、90は90なりにあればいい。
あんたはあんたなりの若さで、90は90なりで、光ればいいと思うだよ」
まさにこのところ、この本を読んで考えていたことを言われたようでハッとした。
「老いる」ことがマイナスのようにとらえる風潮が、強いように感じる。より若くあることが価値があるような。例えば「実年齢に見えない」ことを強調する広告や、前向きに改善を目指すことを強いる介護の書類。
大人になることの意味が見えない社会にいったい未来はあるのだろうか。若者たちが未来に希望を持てず、孤独化しているのは、「老い」や「経験」が意味を失った社会では大人になる意味が見いだせなくなっているからではないのか。
もう一つ、現場で「ケアする側」と「ケアされる側」に立場が固定されがちなことがひっかかっている。自立支援、という言葉に感じるおこがましさ。人生の大先輩達は、たんなる生活弱者ではない。私ができることは、ほんのわずかなことで、関わらせていただくことで学ぶことが多いと、心から感じる。
老いとは、単に何かができなくなることではなく、死に向かって人生を下っていくことである。利用者本人たちは、いかに死に向かって穏やかに下っていくことができるのか、という人生最大の課題に直面しているのに、それでもなお前向きに、上昇志向で目標に向かって自立して生きることが求められるのは、あまりにも酷ではないか。・・・自立支援ではなくて、利用者と共に老いに向き合い、たとえそれが後ろ向きに見えようとも、穏やかに希望をもって人生を下りきることができるまで寄り添い続けることが、必要とされる支援なのではないか、と私は思う。
老いるのは、不吉なことでもマイナスなことでもない。私自身もそれを証明しながら、光って生きたいと思う。