悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

感謝の禅と 感謝筋肉

Facebook グループで取り組んでいる感謝のワークで、今日は「一歩一歩足を踏み出すごとに感謝を唱えよう」という課題が出ました。私は一読して「これは自分には合わないかも」と、切り捨てるように感じました。
 

それというのも、お題目として「ありがとう、ありがとう」と唱えるやり方に違和感があるからです。気持ちを込めなくても良い、ともかく何十万回唱えなさい、それがスタートと教える人がいます。カウンターを片手にカチカチ 数える人もいます。でもそれって 形式だけ なんじゃないかと思ってきたからです。


ちょっと話がずれますが、私はこれまで1日中歩き回る仕事をしていて、仕事中の歩数は1万5000歩前後でした。でも立ったり座ったり、ちょこまかと歩き回るばかりで大きく 全身の筋肉を使えているわけではない。疲労感も強い。受動的に、命令を受けて数える 1万歩は、主体的・能動的に動いて数える 100歩にも劣る、と思ってきました。


例えば 筋力トレーニングでもストレッチでも、この筋肉を鍛えよう(ストレッチしよう)という意識を持つか持たないかで、効果が断然違ってきます。これは私自身が経験済みです。大学時代に、部活動として定期的に、ストレッチを欠かさず行ってきたのに、別のスポーツを始めて目的を持って、主体的にストレッチを始めた途端、ガラッと全身の関節の柔軟性が変わりました。ストレッチの大原則『意識性の原則』です。


だからこそ、感謝にも心がこもっていなければ意味がない。


でももう一度、本文を読み直して納得しました。

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魔法の歩みを行うには、一歩歩くごとに心の中で 魔法の言葉、「ありがとう」を言います。

この実習をする時は、歩数を数えてはいけません。なぜならば、一歩ごとに 魔法の言葉「ありがとう」を言わなければならないからです。


この実習のありがとうは、お題目としてのありがとうとは違いました。心をこめる…と、ちゃんと書いてありました。読み間違えていた自分を恥じました、主体的な感謝だったのです。

歩数も数えず、他のことを一切捨てて、ただひたすらに感謝するって、まるで「感謝禅」です。今ここです。


そして おそらく、感謝することに集中して全身を使う時間を持つことで→→ベースとしての感謝 体質が増します。基礎体力、基礎代謝が上がるようなもんだろうな。つまり 無意識的な「感謝の代謝」が増すようになる。そこが目的なんじゃないだろうかと考えました。そうしたら、軽く口に出した「ありがとう」にも、より感謝がこもるようになる。


そこまで考えてきたら、逆に、1周回って「形から入るのもありかもしれん」とも思えるようになりました。別の視座の獲得

例えばラジオ体操。眠い目をこすって、何も考えずにいい加減にやるとしても、習慣化としては何もしないよりプラスです。お題目でも唱えないよりはマシです。それがある時、意味や、より向上できる方法を考える きっかけになるかもしれないし。

意味がない、と切り捨てるのは他者を認めない行為だな、冷たいな、と思い直しました。命じられて、労働として記録されていた私の15000歩だって、おそらく健康に寄与していたのでしょう、ある程度は。


そういうわけで、さっき 郵便物をポストに出しに行きながら、「感謝禅」をしました。いつもよりも歩くスピードを落とし、丹田に力を込めて一歩一歩「ありがとう、ありがとう、ありがとう」左、右、左…。

私の感謝 筋肉が育っています(笑)