悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

雲の底の光をながめつつ

仕事の帰り道で、以前住んでいた場所へ寄ってみた。ご近所だったおばさんに、ちょっと用事があったので。

私達が引っ越してからすぐに、ばたばたと若い世帯の引越しが続いてしまったらしい。移動の少ない長屋としては異例のことで、おばさんはずいぶんさびしがっている。

「あんたらン、いたころは、良かったやあ」と、何度も言っていただいている。いつも一人で寄ってしまうけど、今度は時間をみつけて、娘達と一緒に来ようと思う。

おいとましてヘルメットをかぶり、西の空を向いたら、きれいな夕焼けだった。秋空の雲の底が、今日最後の夕日を浴びて薄紫に光っていた。

あーここはこんなに空の広い場所だったな、と思い出した。

よく、広い川原で娘達と遊んだ。いつまでも戻りたがらないので、「じゃあお日様沈んだら帰ろう」「ピンク色がなくなったら帰ろう」と話したものだ。

「今日のおひさまさようなら~」「さようなら~」と、何度も手を振った。芝生に寝転んで空を眺めたりもした。

今住んでいる場所も、山あいにしては空が大きく見られる場所だとは思うけど、やはり平地とは違う。

私たち家族はみんな、引越しは大正解だったと思っている。それは間違いないし、対外的にもハッキリ明言している。

でも下の娘は、「前のうちもよかったよ」と、あわてたように付け足すことがある。

どうして?と訪ねると、「用水もすぐ近くだったし、橋もあったし。芝生も広くて遊べたし。おうちは狭かったけどさ、でもいいおうちだったよ。○○さんはやさしかったし、○○くんもすぐそばだったし」と一生懸命だ。

どうやら、あまり今の環境の方が良いと言い切ると、「前のうちに悪い」という感情がはたらくらしい。前のうちを裏切って、自分達が越したように思っているフシがある。

娘にとっては、生まれてこの方ずっと過ごしてきた家だから、愛着はひとしおあったのだろう。

そして近所の方がさびしがっている話も、聞くのがつらいのかもしれない。

そういえば引っ越したばかりの頃は、近くを通りかかっても、「なんかさびしいから見ない」といって、お姉ちゃんと一緒に目をそらしていることもあった。家がさびしがっている感じがするんだろうな。

どちらも良いよ、その気持ちも正解だよ、と私は思う。前の家で過ごせた数年間も楽しかった。たしかに良い場所だった。人生のステージが変わっただけだ。

私は空の移り変わりをながめ、空気の変化を肌で感じながら、西にバイクを走らせる。通勤時間はキツイこともあるけど、決して嫌いではない。その先に、雲の下に、大好きな村があり人が居ると分かっているから。

きっと娘たちもいつか、こんなふうに空を眺めながら、西に帰ってくると思う。