余裕の連鎖?
先日記事に書いた、不動産トラブルの話ですが
先方と来週会うことがきまって、少々緊張しております。
そのことと関連して、気付いたことをひとつ。
以前だったら、もうガチガチに準備して その日に臨んでたと思う。
法的にはどうだとか、写真を添付して書類で固めて・・・とか。
そもそもがファイティングポーズで。
でもね、そういうのはもういいや、と思っている。
素直にこちらの気持ちをうったえれば、わかってもらえるんじゃないかしらという。
言ってみれば、人の善を信じている。
それは山里に引っ越してきたことと、無関係ではないと思うのね。
親切にされたり、思いやったり、思いやられたりという機会が
この一年、非常に増えたと思うのよ。
たくさん親切にしてもらったから、感謝することがたくさんあったから。
そうすると
例えば道端のおまわりさんに、車のスピードゆるめて頭下げていくとかね。
道路工事の旗振りおじさんに、クラクション鳴らして通り過ぎるとかね。
これちょっと届けていこう、きっと喜ぶだろうな とか、
そういうことが、生活の中でとても増えた。
そうすると、どうなるか?
仕事でマチに行ったときにも
たとえば庭で花の手入れしているお年寄りに、「いつも楽しませていただいてます~」とかね、
つい話しかけちゃう。
ちょっと自分で驚きますね。もっと無愛想だったからね、基本。
どうしたら相手が気持よく過ごしてくれるだろうかと、気遣うだけの
心の余裕が持てる時間が、増えたと思う。
まあいつも、いつも そうだっつーわけではないけれど(^_^;)
今回のことも、まとまらなければ「続きは調停か裁判で」となるんだけど、
そう目くじら立てて血圧あげずに行きたいなと。
そんなことになったら「やくたいもないじゃんか」って思ってる。年喰ったってことかもしれませんが。