こちら側だった
昔話。
東京近郊のA市の土地を、勤めていた不動産会社で扱うことになった。
そこは新興住宅地に取り残された区画で、倉庫の横に一本のケヤキの木がそびえていた。
私たちの仕事は、借金の債権まみれになったその土地の、権利関係を整理して、周辺との軋轢もなくして、建売住宅を建てて販売することだった。
あの木を切り倒す、と思うと私は悲しかった。ヤマに通って自然を満喫しながら、仕事としては何故正反対のことをするのか?
でもそんな甘っちょろい感傷は、社長には通じない。私も軽く論破されて当たり前だなと思いつつ、ささやかにこう考えた。
「あの立派な木を切り倒すことは、確かに必要なことなんだろう。だとしても、私はそちら側にいたくない」と。
そして40代になったわたし。
先日来書いてるけど、不動産関係のトラブルの話。結局のところ、家族側の主張は通らず、手なれた業者や、組織の圧力などを様々思い知らされる結果になった。
いわゆる「正直者がばかをみた」形で、損害は相当額にのぼるし、相手方は頭いっこ下げなかった。
でも一つ、とても良かったなと 思い出しては涙ぐんでしまうことがある。
なれない法的手続きだの裁判所だのに、家族ががんばって取り組んだ。実際、じつに素人くさいだまされ方をしてしまって、思いがけない言いがかりに、かあっと血が上るような場面もあったけれど、
母も私も、お互いが言い過ぎそうなときにはお互いが止めあって、だから人間として恥じることのない戦い方ができたと思う。
相手の土俵に落ちず、「こちら側」で踏みとどまることができたんだ。
私は、相手方にとって不利な(でも、今回の件に直接関係のない)材料を知っていて、資料まで準備していた。それを調停の場で出すかどうか迷っていた。でも、かあっとなって資料を持った最後の瞬間で、母に止められた。
「相手の弱いところを、突いちゃいかん」と。
こんなにひどい目にあって、まだとっさにそんなことを言って、結果的に大損してしまう不器用な母を、私はホントに誇りに思う。
母の人柄はもちろん完璧ではないし、親としてああはなるまい、と反面教師にしているようなこともあるけれど、今回のことで私は、40歳過ぎにしてはじめて母に、こう言うことができた。
母さんの娘でよかったなあと思えたよ、と。
それが今回の出来事の、ささやかながら、少しは報われた部分だった。
自分も70過ぎたときに、とっさに一言口走って、娘にそういってもらえるような人生を送りたいと思う。