悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

ヴィオラ母さん(ヤマザキマリ)

言葉の選び方って本当に難しいし、だからこそ言語化は一生続けていけるクエストでやりがいがあります。自分と対話し、他者と対話する。それによって自分を深掘りし、人脈も深まる。

先日失敗したことがあります。自己開示のつもりで、やや自虐的な文章を投稿したら、読んだ方にしてみれば不快な自己憐憫だった、というものです。その人が、否定的な返信をくださったから「そうか、そう受け取られたのか」と気づけたようなものの、そのままだったら気がつきませんでした。もちろん否定的な返信が嬉しいわけはないけれど、気づかせてくれたんだから感謝です。

またこんなこともありました。知人と娘と3人の場面で、娘をからかうような発言をしたら、彼女が「侮辱」とか「面目をつぶすもの」と受け取って、気分を害した、というものです。そんな失敗はしょっちゅうです。調子に乗らないよう反省します。

本書でヤマザキマリ氏は、幼少期の生い立ち・経験を、母親や祖父母の代まで含めて読みやすい文章で語っています。前著のヨーロッパ修行時代を描いたものの時にも感じましたが、壮絶と言えるようなものもあり、ややもすれば自慢とか自己憐憫に傾いてしまいそうな内容です。しかし嫌味な部分もなく、一編の読み物として価値あるものに仕上がっているのは、実に彼女の言語化能力の賜物でしょう。

氏はヴィオラかあさん、つまり母親リョウコを「母親であり同志」であり、「生きる楽しさの見本」と称しています。私も自分の娘が2人とも成人しようとしている今の段階からは、生きていくって素敵だよ、怖がらなくていいよ、自由でいいんだよと感じてもらえるような母さんでいたいと、切に願っています。