悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

歩きながら考える(ヤマザキマリ)

心に残った点を二つ書きます
①※落語の気の抜けた笑いに触れた後で
現代は、人間のことを理想化しすぎたり美化しすぎたりしてるんじゃないか?
「生まれてきたからには自分を一生懸命に磨いて立派になりなさい」という言外のプレッシャーがある
生まれてきた意味を社会的評価という結果で立証せねばならないという気負い
何者かでなければ、生きた証を残さねば、成し遂げなければという使命感などなくていい。生きた証を残すことに固執する生物なんて人間以外にはない。
等身大に生き切ればそれでいい。
 
②都会の生活は予定調和に守られている。(たとえば空調や電車の運行時間)
自然の中に身をおくと、「樹木一本取ってもそこには人間と共通する意識を持たない生物がたくさん生息している」蚊一匹で大騒ぎする。雨の日にはテントや室内に虫が入り込む。共存できない、了見の狭さ
 
②について…子供の頃から、意思疎通のかなわない昆虫類を目でてきた山崎氏ならではの、体験に基づいた視点と感じた。だからこそ私たちは、人間同士でも、例えば夫婦関係友人関係において「分かり合う」ことを求めすぎるんじゃないかな。もっとサバサバと「分かり合えないもの」であることを前提にすれば楽になれるのかな。山里の生活からマンション暮らしになり、
SNSで世界を広げるつもりが、より狭める結果にもなりがちなことに気付いてきた。(アルゴリズムの悪い面に飲まれそう)1つのアイディアは二拠点生活ノマド生活だと感じた。積極的に自然の中に身をおく意味を、また違う視点から持つことができた。