悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

職業としての小説家(村上春樹)

今では巨匠といわれる村上氏も、「風の歌を聴け」で気鋭の新人としてデビューした時代がありました。

神宮球場の外野席でビールを飲みながらのんびりしていて、ヤクルトの選手がきれいな二塁打を打った瞬間に、天啓のように
「自分にも小説が書けるかもしれない」
という思いが降ってきた、というのは、つとに有名な話です(村上ファンの間ではね)。

そんな村上氏は、じゃじゃーん、天然物のエフェクチュエイターだった!というのが、数年ぶりに再読しての感想です。
※エフェクチュエーションについては10月26日の投稿ご参照ください

①処女作は経営していたジャズバーの営業が終わってから、台所のテーブルで楽しんで描き進めた。文体は試行錯誤の末、傾倒していたジャズセッションを感じさせるものになる(手中の鳥)。「不完全な間に合わせだし、あちこちぼろが出ているけど、…欠点は後でなおしていけばいい」
②新人賞をとったあともジャズバー経営続ける。そちらで生活賄える状態。大柄な長編小説に取り組むとき、思い切って店を売却し、だめならやり直そうと(許容可能な損失)。
③文壇では常にアウトローで批判上等だが、逆に世界に通用する出版の形式を切り開く(レモネード)
④コアな読者の存在に支えられる。「…でも実際には我々は地中で、日常生活という硬い表層を突き抜けたところで『小説的に』つながっています」(クレイジーキルト)
(※ここの部分に至った時 私は、なんてこった!顧客を含めたパートナーシップ!と震えました)
⑤小説家という孤独で持続的な道のりを、自らの責任で負っていく覚悟(飛行機のパイロット)
何の気なしの再読でしたが、村上春樹氏のこれまでの道のりを別の物差しで反芻できる、意味深い読書でした。エフェクチュエーション紹介してくださったTさんに感謝。