悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

悟りから祈りへ(鈴木秀子、野口法蔵)

キリスト教徒である鈴木氏と、禅僧である野口氏との共著。
宗教は違えど「実践」を重ねてきたお二人の紡ぐ文章が身に沁みる。対談ではなくてそれぞれに書き下ろした文章で、説得力がある。
私は今回はとくに、鈴木氏の思想に二点惹かれた。
 
①祈りとは
私たちの祈りは、まずは自分の願いを述べるということ
しかし大事なのは、一生懸命願いながらも、欲得に基づく願いではなく本当にその人にとって一番いいことが起こりますようにと祈ること
欲得から気持ちを解き放ち、任せる、ゆだねる、お預けする。
→人のできることってそこだよな、と思う。自分の欲得を認めつつ、ちゃんとメタ認知もして、そして人事を尽くす。そして天命に委ねる。
 
②誰かのために祈る、ということ
脳の働きを解明する研究のなかで、がん患者への祈りの実験があった。祈っているという、その事実を本人に知らせようと知らせまいと、生存率が上がる結果を得たという。
これは私にとって、大きな励ましになった。
以前、感謝することについてこう考えた。自分がひとつ感謝を重ね、祈りを重ねたとする。それでもなかなか、自分の願いの実現につながらなくても、腐らなくていい。それは世の中の幸せを増やしてよい方向に傾け、誰かがにっこりする一助になるはずだ、と。そういう考えが間違ってないよと、言っていただいたように感じた。祈りは伝わるんだ。
私は特定の入信者じゃないけど、毎朝声をだして、父にあいさつする。そして家族と、他者のために感謝し祈っている。うん、間違ってない。