悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

人間の死に方 医者だった父の、多くを望まない最期(久坂部羊)

先日読んだ「人はどう死ぬのか」に紹介されており、続けて読んでみました。筆者は高齢者医療を専門とする医師。実父を含めて、良く生き、そして高度な医療的措置を受けずに亡くなっていった周囲の人々について、実際のところや所感を語っています。
これから経験するだろう親族の死や、自分の時に向けても、準備として読めてよかったなと思っています。
 
本筋ではありませんが心に残る個所を挙げます。「死を受容してきらめく日常」という章で、床に臥せた父と自分とが、5月の庭を「きれいやな」と眺める場面が描かれています。
 
「これが末期の眼なのかと、私は感動した。末期の眼は、通常は死にゆく人が感じるものだが、残されるものにも当てはまる。父と一緒に眺める庭は、もうこれが最後なのだと痛切に感じられるから」
 
私も同じように、去り行く人とヤマザクラを眺めたことがあります。最後の桜だ、と見上げていた顔も覚えています。
それからこんな経験もあります。危険な行動を潜り抜けたあと、安堵して周囲を眺めたら、あらゆる視界がきらめいて、すばらしく鮮やかな色彩にあふれていた。
この二つの経験を思うに、生死と真剣に向き合ったとき、そのぎりぎりの際まで行ったときに、人の眼には桃源郷が映ることがあるのかもしれません。ということは、もしもほんとー--に日日メメント・モリを実践して生きられたとしたら(かなり仮定のはなしだけれど)、より極彩色の美しい世界で生きられるのかもしれないな。