悠々闊歩

はるかな道を悠々と、闊歩していきます

LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれる(ケイト・マーフィ)

先日ミスタードーナツで読書していたときのこと。隣の座席に、 2人の子供を連れた母親が座った。子供はおそらく六歳三歳といったところか。
 
彼女はまず、車の中で眠っていたらしい寝ぼけまなこの男の子を座席に座らせ、お姉ちゃんと一緒にドーナツを選んだ。男の子はその間、母親の方をぼんやり見ながらずっとおとなしく待っていた。仲良く3人で会話しながら、それぞれのドーナツを分け合って食べ、 30分から45分程過ごしただろうか。子供たちは大声を出すことも落ち着かない様子もなかった。お姉ちゃんがトイレに行きたいと言い出し、そのころには弟もすっかり目覚めて店内を走りかけたが、母親の静止にニコニコして席に戻り、私の方をちらちらと見ながら飲み物を飲んで待っていた。
 
私が驚いたのは、彼女が滞在中一度たりとも、テーブルの上にスマホを置かなかったことだ。娘がいっしょうけんめい、このドーナツがどうやってできたか、空想の話をしはじめると、うんうん、そうなんだーと穏やかにうなずいて相槌を打っていた。
 
この本の中でも、スマホについて「まるでテーブルセッティングのように」と、食事や団らんのシーンを侵食するようすが描かれている。家族でも友人どうしでも、ハレでもケでも、当たり前のようにそこにある。うまい表現だと思う。私もひとりごはんは、茶わん、おはし、そしてスマホ。娘とライン電話すれば、娘はむこうで別のラインに返事したり、パソコンのキーボードをたたく音がしたり。
傾聴が軽んじられている。片手間に人の話をきくことが、風潮として許されるようになって久しい。だからこそ、これは人間関係を築く上での、これからのいわば「武器」になる。
 
本書はいわゆる傾聴がテーマで、テクニック以前の姿勢を、こまかく言語化してくれている。
今の私にとって最も印象的だったのは、他人との対話(傾聴)と内なる自分との対話(傾聴)を行ったり来たりすること。
他人を、親友に対するように興味好奇心をもって傾聴する。そして自分自身も、親友に対するように傾聴する。
自分自身をどう聴くか、どう語りかけるかと、他者の傾聴を行ったり来たりする。そういう視点視座の転換が新鮮だった。
「どんな問題解決、または少なくとも折り合いをつけるための唯一の方法は、結局のところ、自分との対話でしかない」という言葉が印象的だった。