うめうない むぎぢうない
近所のおばあちゃんの畑を借りて、今年の麦を育てることにしました。
種にする麦をペットボトルに入れて、ばあちゃんちに行くと、
「どうやって撒くつもりか」と聞かれました。
どうやって?畑をうなって、撒きすじをたてて、ぱらぱらして土をかぶせて・・・と、
私にはそれくらいの頭しかない。
前作、さつまいもと白菜、ダイズ、それに大根を育てていた畑。
そこを、うめうない(埋めうない)すると 教わりました。
今では、次の「つくり」(農作物づくり)の準備と言えば、野菜の残渣をどかして耕運機をかけ、ならして・・・とするのが一般的。でも昔ながらには、畑のすまっこ(はしっこ)から一列ずつ、野菜くずや青草、剪定の枝や豆の殻などを「いけて」(埋めて)踏み込み、土をかぶせて、またできた列にいけて・・・と繰り返してきた。
そうすると、「順に土がやわらかくなって、仕事がしやすくなる」という。
ばあちゃんの畑も、私の借りている畑も、もとは田んぼだった場所だ。
でも、土のやわらかさが全然違う。それはもう、雨上がりが歴然と違う。
ばあちゃんのところは嫁入り後、田んぼをやめてから毎年、毎作、この方法を繰り返してきたんだ。
「なんていう方法なの?」と尋ねると、しばらく考えて
「ただ、うなう、っていうだなあ。埋めうないか。麦の前には、麦地うないっていうだなあ」とこたえました。
最終的にこうなるのだ、と、隣の畑を指し示したが、
そこは残渣も何もなく、次のつくりをするばっかりに整っている。さて、さつまのつるやダイズの枝がうずたかく積んであるばあちゃんの畑が、ほんとにそうなるのか・・・?
最初に手本を見せてもらって、やってみる。
もっと手元からうなえ、幅を広く取りすぎるな、と注意しながら、
「まったく、うるさいばあさんだなあ」と、笑って自分にツッコミをいれるばあちゃん。
でも、自分が生涯通して続けてきたやりかたを、手渡してくれる気持ちが伝わってくる。
私が溝をうなっていくのに合わせて、ばあちゃんは豆の殻だの、さつまのつるだのを順にもってきてくれる。
合間にぱらり、ぱらりと肥料を振り込む。
畑は順に、着実に、黒々と姿をかえていく。「おお、いかにもできそうに(次が育ちそうに)なってきたなあ。偉い仕事をしたもんだ」と、ばあちゃんは嬉しそうに腰をのばす。
でもおれがやりはじめたのは、〇〇さん(旦那さん)がいなくなってからだよ。
〇〇さんは腰を曲げたまんま、手早くうなっていく。
いなくなってからは、こわいもんだったよ。
ばあちゃんは一時にはできないので、休み休みにこの作業をするという。私はしょっちゅうは来られないので、なんとか予定の場所までやりきった。
雨の後で、ちいっと乾いたら、これで麦まきができる。
ばあちゃんの備中くわは、4本の歯がすべて、先っちょが丸くなっている。「もとは四角かっただよ」と言われて、帰ってからうちのくわを確かめてみたら、なるほど四角い。たいした農作業をしてこなかったんだなあと反省した。自然農法をするのだと、無耕起でさつまいもやサトイモを植えたら、今期ひどく難儀した。主義主張も大事だけど、昔ながらも実践して体感してみようと、ウチの畑にも夕方復習がてら さつまづるを埋めうないしました。